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父がわからないものは、母だってきっとわからない
僕と同年代の男性だとすでに子育てを終えつつある人も多い。仕事やプライベートでお付き合いのある男性の話を聞いても、状況は本当に様々。我が家に子供がやってくることになってからというもの、つい、いろいろ聞きたくなって聞いてみたら、何人かがこう言っていた。「僕が抱っこしても泣き止まないんですよ」
我が子よ、何故泣く
「なんで泣いてるか、だんだんわかるようになる」というのは、あちこちで見かける文章だが、確かにその通りだなと1ヶ月くらいでわかってきた。でも、3ヵ月になろうとする現在、また何か理解できない新しい理由が生まれているようで、掴んだ!と思ったものは霧の中に消えていった。きっと、これからも、こんなことを繰り返していくのだろう。育児の道は長く険しい。とはいえ、最初の2ヵ月は完全に「お腹空いた」「オムツ」「眠い」が理由であったことは、あちこちで読んだ通りだったし、だいぶ見分けがつくようになった。とはいえ、最初は本当になんで泣いているかさっぱりわからなかったので、彼女と二人で「お腹は一杯だろうし…」「気分転換にオムツも替えてみようか~」「眠たいのかなー???」と探り探りでやってみては、偶然ヒットして泣き止んでくれることの繰り返しだった。しかも、我が子の泣き声に対して耐性が出来てなかった僕たち。泣いている限り1秒たりとも、ほったらかすことは出来ず、寝ている時と、オムツを替える時以外、退院して我が家で過ごした1週間、ほとんどの時間を抱っこして過ごしたと思う。あっという間に2人とも腰も背中も腕も限界に達した。
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僕が抱っこしても泣き止まない
その後、彼女が里帰りしている間、僕は遅ればせながら赤ちゃんの泣く理由、泣き止ませ方をググりまくった。子育て家庭の先輩である知人に尋ねると「僕が抱いても何故か泣き止まないんですよねー」と言った。そんなことがあるだろうか、タイミングやどうしたら良いかは気まぐれだったけど、我が子は僕が抱っこしても泣き止む。でも、そのセリフを言う人は他にも数人いたし、ネットでも見かけた。彼女に話してみたら「泣き止むまで抱っこするかどうかってだけのことじゃない?」と軽く言った。それを言われて思い出したことがある。
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我が子が産まれる前に僕が褒められたこと
我が子の誕生より数ヶ月早く、友人に子供が産まれた。今まではずっと、産まれて数ヶ月の赤ちゃんなんてどう扱ったら良いかわからず、遠巻きに「かわいいねー」と言っていた僕。でも産まれて数ヶ月の友人の子に初めて会って「はいっ」と渡され抱っこした時は、今までと全く違う気持ちだった。肝が据わった、とでも言えば良いのか。こんなに小さい子が我が家にもやってくるのだ、どうしたら良いかわからないなんて言ってられない。そう思ったのかもしれない。少ししたら、その子は泣き出したけれど、揺れてみたり、歩いてみたり、少し暗いところに行ってみたりしていたら、そのまま眠ってくれた。すごくうれしい気持ちで「かわいいなー」と、じーんと、しみじみ思った。遠巻きに見て思った気持ちとは全然違った。そんな風にしていたら「泣き出したのに、ずっと抱っこしてて偉い」「男の人は、だいたい泣き出したら返してくるよ」と言われた。確かに今までの自分だったら、抱っこしている赤ちゃんが泣きだしてしまったら「ああーごめんねー、お母さんがいいよねー」と返していただろう。
我が子が誕生するということを毎日、毎日考えていたら、僕の中でも何かが変わっていた。出産をする本人なら、僕なんかよりも毎日変化していく自分の身体と、お腹の中にいる子を実感して、もっともっと沢山のことを考えているのだから、自分は絶対に逃げ出すわけにはいかないというプレッシャーはものすごいだろう。そして、あんなにも大変な出産を乗り越え、弱った身体で我が子を守る。ならば、そばにいる僕も同じ覚悟でやらなければいけない。振り返れば後ろには彼女が居てくれる、ではない。彼女ひとりを最後の砦にしてはいけない。彼女と僕は同じ場所に立ち、息絶えるまで共に我が子を守っていかなくてはならないのだ!…と、あれ?僕は褒められた、というただのささやかな自慢話だったのに、話が壮大になり過ぎた。
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わからないものは、わからない
里帰りから戻った彼女と我が子。彼女は何かを悟ったような、「我が子育ての第一人者」の自信がみなぎり輝いていた。確かにそう見えた。なんだか置いて行かれた気がした。帰ってきた我が子はムチムチになり、泣き声も数段パワーアップしており、困り果てた僕は「これって、なんで泣いてるの?」と何度も彼女に尋ねた。自分より長く我が子と過ごしている彼女ならわかるかもしれないと思ったからだ。でも彼女は「なんだろうね~?」と笑いながら答えた。数週間で何度となく泣き止ませた彼女にだってわからない。悟ったことはきっと「そのうち必ず泣き止む」ということ。笑いながら「なんでだろうね~」とギャン泣きしている我が子に話しかける彼女は頼もしかった。そうして、やっぱり最初の1週間と同じように、ふたりで「あれかな~、これかな~」と試していくのだった。
育児をあまりしていない人は「いつもそばにいるお母さんならなんとかできる」と思うのだろう(自分も少し前までそうだった)。だけどそんなことはない。お母さんだって、お母さんになってから、まだたった数カ月、そして毎日驚くほど、我が子は変化していく。育児に立ち向かっている人だって、わからないことだらけだけど、我が子と正面から向き合う。泣き止むまで抱っこした回数が、ほんの少しづつ自信をくれているだけだ。だから「自分はいつもそばに居ないからわからない。わかる人に任せよう」などと委ねてはいけない。あなたが「わかっている」と思っている人だって、実は自分と大差ないくらいわからないことだらけなのに踏ん張っているのだから。
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ということで、我が子なら、逃げずに、泣きやむまで抱っこしてあげましょう。今、乗り越えないと、将来、孫が出来た時にどうしたらよいかわからず、抱っこするのが怖いおじいちゃんになっちゃいますよ~(我が子のおじいちゃんは二人とも揃って「いや、怖いから、もうちょっと大きくなってからでいい」と言った)
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どちらかに任せずに、ふたりで悩みながら子育てしましょう、ご機嫌に。
きっとその方が何倍も楽しいし、何倍も我が子がかわいく思えるはず。
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