頑固おやじの世界一おいしいお好み焼きの話。
「不味くしたけりゃつぶしな。」
僕が店に入ってから出るまでに聞いた、唯一のおやじの言葉だった。
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営業職で全国の学習塾を回っていた頃のこと。
塾というのは全国津々浦々、子供がいるところには必ずある。
たとえそれが知多半島の奥の人っ子一人みえない田舎でも。
片手ほどしかいない乗客とともに列車に揺られ、僕は目的の駅にたどり着いた。もはや景色も思い出せないそのホームには、ただの1人の影も見当たらなかった。
ちょうど午前11時を過ぎた頃だったと思う。タクシーで向かうお客さんとの約束にはまだ早すぎた。30分くらいあるし、その後はアポが続くし、ここらでちょっと早めのお昼ごはんを食べておくか。
そう思って駅から1歩出た瞬間、事前にGoogle Mapで”田舎度合い”を調べなかった自分を後悔した。見渡す限りのくさっぱら。どう考えても、腹を満たして時間をつぶせるような場所はなかった。シカでもなければ。
さてどうしたものかと駅に戻ると、奇跡的に2軒の小さなお店が目に入った。左は、年季が入った喫茶店。腹を満たせるようには見えず、消去法で「お好み焼き」と書かれた右ののれんをくぐり、その店に入った。
当然とでも言えばいいだろうか、店内に客は見当たらなかった。否、店員すらいなかった。唯一、奥のほうに無愛想な目をしたおやじが1人立っていた。
おやじは無表情のままわずかに腕をあげて、(好きな席に座れ)と声を発さずに僕に指示をしてきた。僕は(なんやこのおやじ、サービス精神ないな)と思いながら適当な席に座り、メニューを見てさらに肩を落とした。
テーブルにメニューはなかった。周りを見渡すと、壁に「やきそば」「お好み焼き」とだけ書いてあった。種類もない。どうやらこの田舎駅の周辺では、やきそばかお好み焼き以外を食べる権利はないようだ。
無言で注文を受け付けたおやじは、ほどなくしてお好み焼きの生地と具材をテーブルに持ってきた。お、自分で焼くのはひさしぶりだな〜、いっちょやるか!と思っていると、おやじがヘラを取り無言で鉄板に生地を流し始めた。
なんだ、無愛想だけど焼いてくれるなら任せよう。おやじは慣れた手つきでそれを鉄板の上で整えた。しかし、彼はサービス精神がないという期待を裏切らない。直後、何も言わずに定位置に戻っていったのだ。
あとは自分でやれということか?まあ、なんにせよ片面が焼けるのは待つしかない。鉄板の上で小さくパチパチと音を立てるそれを眺めながら、次の商談の内容を考えていた。
3分は経っただろう。そろそろヘラで端っこをめくって焼き加減を見るタイミングだ。僕はおやじに目を向けたが、相変わらず無表情で言葉を発さなかった。どうしたものか。
キャンプで飯盒でお米を炊くとき、炊き加減を見たくてフタを何度も開けてしまう子供がいるが、なるべく放っておいたほうがよい。お好み焼きも同じだろう。分厚く置かれていった生地にはまだ明らかに火は通っていない。もう少し待つか。
5分が経過した。そろそろ気になってくる。底の焼き加減よりも、その分厚い生地に全然火が通っていない事実に。次のアポまでは30分、そうゆっくりはしていられない。
もはや空気と化したおやじを視界に入れず、僕はヘラを取りお好み焼きを上から押そうとした。その瞬間。
「不味くしたけりゃつぶしな。」
低く鋭い声が聞こえた。この店に入って初めて聞いたおやじの声だ。突然の忠告 -しかもかなり強い- に戸惑ったが、そう言われたら手を止めるしかない。いや、恐怖で手を動かせなくなった。
ゆっくりと火が通っていく生地をただただ眺めながら、10分は経っただろう。おやじがテーブルに来て無言でお好み焼きをひっくり返した。
そこから先はあまり覚えていない。ただひとつ、出来上がったお好み焼きを口にいれた瞬間、今まで食べたお好み焼きのなかで群を抜いて美味しかったことを除いて。
知多半島の奥地。消去法で入った店。2つしかないメニュー。無愛想で無言の頑固おやじ。状況がさらに味を引き立てた。おいしいお好み焼き屋は全国津々浦々あろうが、その時、僕は間違いなく世界一おいしいお好み焼きを食べていた。
頬がほころび自然と笑顔になった僕は、何度も「うまい!」と声に出して言っていた。おやじは相変わらず表情を変えなかったが、一瞬だけ、口元が緩んだ。
お好み焼きを食べ終わった頃、おやじが無言でバニラアイスを差し出してきた。伝票には何も書かれていない。
なんだよ。無愛想なくせに可愛いおやじだな。サービス精神たっぷりじゃないか。そう思いながら僕はタクシーに乗り込んだ。
おやじ、元気かな。今もあの低い声で言ってるのかな。不味くしたけりゃつぶしな、ってね。