公務員だった私が33歳で整体院を開業した本当の理由…
始めに、自己紹介をさせて頂きます。
私は1967年に埼玉県の越谷市に生まれました。
子供の頃は、身体が弱く、小児ぜんそくや気管支炎、中耳炎などでいつも病院に通っていました。
小学生、中学生時代は、漠然と「将来は学校の先生になろうかな~」と考えて、親に褒めてもらいたいと勉強は頑張っていました。
右耳が聞こえないことがコンプレックスで、あまり同級生とは遊ばず、一人で江戸川乱歩などの推理小説を読むのが好きなちょっと暗い感じの子供でした。
そんな私が、人生最初の挫折を味わったのが、高校受験の失敗でした。
第一志望の高校に落ちてしまい、しかたなく滑り止めに受けていた高校に通いました。
とりあえず、大学には進学しようと思っていたのでそれなりに勉強はしていましたが、何のために生きるのかわからなくて、浜田省吾や尾崎豊などのメッセージ性の高い歌に、はまっていました。
大学では、バイトやサークル活動などをやって自由で気ままな大学生活を楽しんでいました。
大学4年になり、父親も公立高校の教員だったのでなんとなく、公務員試験を受け、埼玉県庁に入庁しました。
公務員時代は幾つかの部署を担当して、それなりに面白い仕事だったのですが、職場の人間関係や目的のない毎日にストレスを感じ、煙草も一日3箱吸っていて、心療内科に通った事もありました。
30歳を目前にして、このまま定年まで30年この仕事をやっていくのか?と自分の中に疑問が沸々と湧いてきました。
一度しかない人生なんだから、何ができるのかわからないが、組織でなく個人として独立開業して自分の可能性を試したいと思いました。
過去に自分が腰痛になった時にカイロプラクティクで良くなった経験もあり、カイロプラクティクの専門整体学校に行って技術を身に付け、独立開業することを決意しました。
もちろん、周りからは大反対でした。
「で食べていけるわけないよ〜」
「カイロプラクティクって大丈夫なの?」
「公務員辞めるなんてもったいないよ」
「仕事なんだから割り切ってお金のためでいいから、休みの日に自分の好きなことが出来るよ」など、ほとんどの人に反対されました。
しかし、 母は、私が悩んで苦しんでいることを知っていたので、
「頑張りなさい。出来る限りの応援はするから~」と言ってくれました。
私も子供が産まれて、親の有難さがわかり、今でも感謝しています。
そして、埼玉県庁を退職後、2年間、専門学校に通いました。
卒業後すぐに独立開業するという目標が明確だったので、学校以外にもセミナーや講習会に参加し、毎日、がむしゃらに勉強していました。
その当時、アントニオ猪木が引退式の中で「道」という詩をメッセージしていました。
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる 迷わず行けよ
行けばわかるさ
いくぞ~!!!!!
1、2、3、ダ~~~~~~~~~!!!!!
この詩を毎日のように読んで、不安や怖れをかき消すように自分に暗示をかけていた事を覚えています。
卒業後約8ヶ月の準備期間を経て、念願の整体院を埼玉県の南浦和に開業しました。
しかし、ここから苦労の連続でした…