ウズベキスタン滞在記 その2 タシュケント 12月13日 最後のエレクトゥス 2023年12月25日 15:06 翌日、朝起きると、早速朝食を用意してくれた。お粥、ナン、パン、ヨーグルト、ハム、チーズ、ナッツ、オリーブ、コーヒーにお茶、、美味しいものばかりでお腹いっぱいになる。そのあと、まだ昨日の雪が積もる往来に二人で出た。アザムさんがタシュケントの街を案内してくれると言う。まず、アザムの自宅を出ると最寄りのバス停からバスに乗ると、町の中心部で降りる。ウズベキスタンホテルの近くを歩き、ティムール広場を通りぬけた。(緑豊かな公園だったのに、政府が全部木を切ったため、夏は暑くてしょうがない、と彼は嘆く。) 省庁街からメトロに乗った。タシュケントのメトロの内装はゴージャスで有名だ。一番美しい駅は、ウズベキスタンの国民的詩人、アリシェール・ナヴォイの名にちなんだ駅であろう。駅内にはナボォイに関するミニチュールも飾られている。メトロを降りると、ナヴォイ博物館に行く。実はアザムは、この15世紀の宮廷詩人でウズベキスタン国民に一番愛されている、ナボォイを海外に紹介するために、その作品を英訳して出版している。彼のライフワークでもあると言う。アザムはウズベキスタンの有数の詩人であるとともに、翻訳家でもあるのだ。 ナヴォイは古ウズベク語で詩を書いたのでウズベク文学の父とも言われるが、実際は現在のアフガニスタンの辺りがゆかりが深く、そのため、この文学史上のヒーローを二国間で取り合う、なんて事態もあるらしい。それはともかく、アザムによれば、ナボォイの詩は人生の普遍的な題材や、神への愛を歌ったものだという。生涯毒身を貫き、またティムール帝国時代に活躍した政治家でもあった。この博物館の見所は多い。博物館を出ると、今度は、アザムの詩集を発行している出版社が近い、というので、その編集部を訪ねることにした。 編集長(Bahrom Ro'zimuhammadさん)はアザムの友人で詩人でもある。編集部で、彼らの発行する雑誌に載せるから、ということで、なぜか私がインタビューを受けたので、日本や短歌や俳句の簡単な紹介を行った。(編集部の皆さまとの写真は冒頭)別れを告げ、アザムと一緒に近くの食堂に入り、美味しいケバブをいただいた。その後、今度は、近・現代のウズベキスタンの有名な作家、オイベック(Oybek)の博物館に行く。館長は、オイベックの孫娘さんだ。彼女の説明を聞きながら、オイベックの生涯やその文学について学んだ。 この博物館は、オイベックの自宅をそのまま使っている。そのスポンサーは政府だと言う。日本ではどうだ、有名な文学者の自宅を博物館にした例はあるか?それは民間のスポンサー?などと、アザムに聞かれる。たまたま、博物館に来ていた女子学生が、アザムのHPを見ていたそうで、あの日本人ですね、と声をかけてくる。そして、日本は第二次世界大戦後、ゼロから奇跡の復興をとげたのですね、と褒めてくれる。(ウズベキスタンの方の日本観はわりとこの点で共通していて、だいたい褒めてくれる。)今度、オイベックを読んでみよう。 博物館を出ると、今度は、ナボォイ・オペラ・バレエ劇場だ。第二次世界大戦後、シベリア抑留された日本人たちが強制労働で造らされた事で有名な劇場だ。この日本とゆかりが深い建物に案内してくれたのも、アザムの友情であろう。とても感慨深い。さて、この後、アザムの自宅に戻り、その友人や若い詩人たちとの交流会が行われた。若い詩人たちは、10代後半から20代前半のジャーナリストや、学生だという。彼らと日本とウズベキスタンに関する質疑応答ののち、お互いの詩を朗読し合う。母国語、英語、フランス語などで。 合間にアザムがギターをかき鳴らし、自作の詩を歌う。もちろん、奧さまの美味しい手料理をいただきながら。タシュケント地方のプロフ(炊き込みご飯)がメインだ。日本人が大好きな味だ。。。アザムはぼくと同世代だが、こうした若い人たちを支援し、育てていることにも力を注いでいる。かれは、国際的に詩で活躍するにはどうすれば良いのか、という情報を若い世代に引継ぎ、そのメンターとなっているのだ。実に素晴らしい事である。彼の叱咤激励は、必ずや、ウズベキスタンの次世代の詩人たちに届くであろう。 一首 アリシェール・ナヴォイの歌は死語である言語によりて不滅と言ふなり #詩 #poem #ウズベキスタン #poet #Uzbekistan この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート