見出し画像

幸せの価値観はそれぞれ

「恵まれない国の人が幸せになれたら良いですね」
私がジンバブエの子どもに逢いに行った時に言われた一言に違和感を覚えました。

幸せになれたらって
幸せではないって事ですよね?

私も以前はそうだったし
大凡の日本人がそう思っているのでしょう。

外国からのゲストである私を
子どものいる村に連れて行ってくれた
現地スタッフからの衝撃の一言

「今日、ガソリンが無事に手に入って、
出発出来る事を信じている」

あ、遠路遥々きたけれど
逢えない可能性が強いんだ…
そんな事もあるのかと思いました。

予想以上に全てが危機的な状況だったのです。
しかも、私がジンバブエ入りする直前まで
大干魃だったそうで、
家畜が痩せて、
川も干上がっていました。

2時間してガソリンが運良く手に入り
出発した車内はやたらと陽気で
いつもこの人達はこんな感じなのだと
直ぐに分かりました。

子どもの住む村が貧しいのは
村の雰囲気でも十分に伝わりましたが、
学校の職員も子ども達も父兄も…
歌やダンスで歓迎してくれたし、
私の下手くそな英語のスピーチも真剣に聞いてくれたし、
きっと毎日、代わり映えのしない給食も
何だか楽しそうに食べていたり…
(意外にも美味しくてびっくり)
皆んなとってもキラキラした目をしていて

今ある全てを
とても大切に生きているんだと感じました。

村の皆んなと別れ
職員とも別れ
次はいつ来ようか…
と飛行機の中て考えながら

めちゃくちゃ楽し過ぎて
驚くくらいに満たされていた事に気づきました。

あの1日が丸ごと幸せだったんです。

子どもの家にはトイレがないそうです。
学校までも40分掛かるんです。
ここだけ切り取れば
改善できたらどんなに良いだろう…
とは思います。

どんなに恵まれていても
そこに完璧はありません。
豊かさには上限などないのです。

それを追い求める事で進化もしますが
苦しみも生まれます。

現状を諦めるとか
向上を求めないとか
そう言う事ではなく、

シンプルに目の前の事に
感謝をして精一杯に生きる事って
それ自体はとても満たされているのではないか?
そう感じるのです。

より良い環境作りに
何かお手伝いがしたい。
その想いはより一層強まり、
出来る限りの支援は続けたいと思います。

でも、電車で隣り合わせた
よその子どもに
飴を一つあげるのと同じく
「幸せを共有しよう!」
そんなスタンスで関わって行きたいと思うのです。

「私は豊だから助けてあげるよ!」
そうではなく…

きっと、
ジンバブエの村から比べると
日本の日々の変化は目紛しいものでしょう。

その中で
大切なモノを見落としてはいないか?

何にフォーカスして
何にエネルギーを注ぐのか?

立ち止まって
考えてみてはいかがでしょうか?

殺伐とした今だからこそ、
必要なのではないでしょうか?

【梶 美月 お友達大募集】

このURLをタップまたはクリックしてください↓↓↓↓

https://lin.ee/i78ckEV

@rvj1029b
または、LINE IDで検索してください。
(@をお忘れなく!)

いいなと思ったら応援しよう!