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売れない話

私は時々、絵を描いている。
時々だ。いつも、じゃない。

幼い頃に、母からお絵かき遊びをしてもらった所がスタートで、成長と共にいつも「お絵かき」が傍らにあった。
勉強せずに絵ばかり描いているもんだから、母は祖父母から
「あんなポンチ絵みっともない。描かせるな!」
と強く責められ、私はいつも「絵なんか描いてないで勉強しなさい!」と叱られていた。

が、結局勉強もせずに、私は絵ばかり描いていた。
幸い、妹がお勉強大好きな子に育ったので、祖父母や父母の期待は妹に移っていった。
なので、私はずっと絵ばかり描いていた。

美術の学校に行きたい夢は、父に反対された。
説得して、なんとか許してもらおうとも考えたが、そんな意気地は無かった。
幼い頃に、周囲の大人達から絵を描く事を全否定され続けていたせいか、自分の絵の才能に自分自身が否定的だった。

ダメだと言うなら行かない方が良い。
私は諦めて、父が許してくれた造園デザインの学校に通い始めた。
そこでは、最初のうちは美術学校の様にデッサンの授業があった。
対象物をよくよく観察して、それを紙に描きおこす作業の、なんと楽しい事よ♪
やはり絵を描くって楽しい♪好きだ♪ずっと続けたい♪

そして私は卒業を待たずに、デザイン学校と別れを告げた。

辞める少し前に、
私は父からバイトしないかと誘われていた。
造園の図面を引ける社員が、父の会社で必要になっていた。
願ったり叶ったりだ。
私は造園デザインの学校に通ってたのだ。
製図ならまかしとき!
私は毎日毎日、発注元から配布された図面をトレースし、そこに植物や石を描き込んだ。厳密には「絵」じゃないけど、楽しかった。

そんな仕事が何年続いただろうか。
時代は手書き図面からCADによる作成へと移行し、私の様な手書き職人は不要になった。
その代わり、父の経理仕事を任されるようになり、図面引きと見積作成しかしてこなかった私は、前年度伝票を参考にしながら、お金の計算に明け暮れた。

やがて父は福祉業界へと華麗じゃない転身、
私は経理仕事を「丸投げ」された形になった。
そもそも、どんぶり勘定気質な私が企業の経理なんて無茶過ぎるわ!
と、文句を言っても聞いてくれない。
やがて父は旅立ち、私は税理士さんに助けてもらいながら、なんとか日々の業務をこなしている←今ココ

で、絵の方だが、
細々と続いている。
都内の絵画教室で、月一回だが色鉛筆画教室の講師をしている。
描く側から、教える側に、華麗じゃない転身をした訳だ。
人にものを教える事の難しさを痛感しながら、私に出来うる事を精一杯続けるだけだ。

そろそろ、教えるだけじゃなく、描く側で続ける事も大事だなと思い始め、時間がある時にちょっとデッサンをしてみた。
それを見ていた、私の師匠が静かに言った。

「あなたの絵は上手よ。とても上手。優等生の様な出来映えね。でも、それだけ。あなたの絵は、キレイだけど、売れない。お金にならない絵ね」

私「えっ・・・・・・・・・( ゚Д゚)!」

「あなたの絵は巧いわよ。とてもキレイに正確に描かれてるの。でもね、買いたいって思うかと言ったら、買わなくてもいいレベルなのよ」

私「そ、そう・・・なんですか(汗)」

「そうよ。あなたの絵は、欲しいって思う気持ちが沸いて来ない。キレイだなー、で、終わり。良くも悪くも、そういう絵なのよ」


正直言えば、
そう言われた直後の私はポカーンとしてしまい、
ショック受けたとか、傷ついたとか、そういうマイナスの感情よりも、

「そうか!そうだったんだ!!!なーんだ!!」

言うなれば、超難しいと思ってた算数の問題が、実はとても簡単だったと気づいた時のような、
道に迷ってグルグル遠回りをしていたら、偶然にも以前から行きたいと思ってた、違う場所にたどり着いてしまったような、
私の事を嫌ってると思っていた人が、実はとても気さくで友達になりたいって思ってくれてたと解ったような、

・・・つまり、
薄暗い心の片隅にポッと光りが射して安らいだ気持ちになれたのだ。

肩の荷が下りたのだ。
何かを成し遂げようと気合いが入っていたけれど、
そこは必要ないから、力抜いて、と言われた感じ。

師匠は続けた。

「だからね、あなたはこの先に進まないと。巧いのは解ってるから、次はどうやって人の心を惹きつけるような絵を描くか、なのよ。売れる絵を描くの!お金を払いたい、と思わせるような絵をね!あなたなら出来るから。ステップアップするのよ!」

私は「はぁ・・・」と生返事をしただけだった。

そもそも私は、
自分の描いた絵を売ってお金を戴く事に、さほど関心が無い。
だから、描いた絵の殆どは差し上げてしまう。
絵画教室で、それではダメよ、才能を粗末にしちゃダメ、と言う話になった時は、数千円から1万円前後でお買い上げ戴いた事もあった。

何年か前に、Facebook友達数人と共同でカレンダーを制作・販売した事があったけど、それも一度きり。もうやろうとは思わない。再びそういうお話を戴く事があっても、お断りしようと思っている。

なので、売れる絵が描ける様に精進する事には、今のところかなり消極的なのだ。
そりゃー、売れないより、売れた方が良いんだろうけどさ。

オトナになってから、私自身の絵に対する取り組み方もずいぶん変わった。
小さい頃は、朝から晩まで絵ばかり描いていた。
楽しくて楽しくて、お腹が空く事も日が暮れる事も気づかないほどのめり込んでいた。
今では、せいぜい1時間かな。描く意欲が失せる、と言うか、体力気力が続かない。疲れてしまって、描けないのだ。

あの楽しかった頃の自分は、もう取り戻せないんだろうか。

師匠に言われた言葉を反芻しながら、
自分に出来る事は何か、今年はそこを見つめたいと思っている。
それは単に「売れる絵を描ける様にする」のではなく、
私自身が、ワクワクと楽しみながら描けるようなやり方を探してみたい。
色鉛筆じゃなく、パステルや水彩絵の具、アクリル絵の具など画材を変えてみるのも良いのかもしれない。(使ってないそれら画材が沢山ある・・・)

「絵は腕で描くものじゃなく、心の眼で描くものよ」
とは、先輩画家の言葉だが、今になって心にしみる。

そうだな。心を込めて描いた絵は、観る人の心に共鳴するんだろうな。
よく解らんのだけど。

今年はいつもより美術館巡りを多めにしようかとも考えてる。
絵を描くくせに、私は古今東西の名画にまるで疎い。
大学で美術史を専攻した妹の方が、遙かに画家と作品の知識は広い。
先人の遺した作品を丁寧に観て観察する事の大切さに、今更気づいた。
色々とダメだな私は。

天中殺が明けた2022年。
色々始めるにはちょうど良いのかもね。

頑張ろう。

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