停滞する日々
天中殺が明けた2022年。
よし、これからだ!
・・・と思っていたら、
九星気学で言う一白水星は、今年は停滞する年らしい。
高島易学に詳しい絵の師匠は、
「あなたは今年一年、前に進むより立ち止まって考えることね」
と言った。
今年ももうじき終わるんだが、
立ち止まった方が良い一年だった。
夏には一時停止するところでちゃんと停まらなかったのをお巡りさんに見つかって違反切符を切られた。
免許取って40年。初めての出来事。
立ち止まれば良かった。
秋には、車を電柱にぶつけた。
長い林道の登り坂を疲れから来る睡魔と闘いながら運転し、
数秒、目を瞑ってしまった。
時速20km、ゴツンと言う音で我に返り、愛車の右前の角を凹ませた事は、ゴツンの衝撃より大きなショックだった。
自宅まであと数百m。立ち止まれなかった。
でも、考えようによっては、不幸中の幸いだった。
ガードレールの無い林道で、もし電柱じゃなく道路をはみ出してしまったら、崖下20mを真っ逆さまだったかもしれない。
「電柱に護られたのよ」
「お父さんが護ってくれたのよ」
友人知人はそう言って慰め励ましてくれた。
が、無事故40年で車両保険に未加入だった為に修理代は高くついた。
冬になり、
すっかりキレイになった愛車は、今度はハンドルが激しく振動する現象が多発、再び修理に出す。
この現象は、私の愛車に頻発する「持病」だそうで、同じ車のオーナーさんには悩ましい案件だと初めて知った。
修理後は、その現象一切発生していないが、ハンドルを握る時の緊張感が増した。
ついてないな、と思う。
ネガティブ思考には気をつけているつもりでも、気づけば色々心配し、悩んだり焦ったりしている。
在学中から仕事を始め、今春までずっと働き続けていたけれど、退職して家にいると(何で私、ここにいるんだろ?)などと思い始め、思考が彷徨い始める。
絵を描く事も、未だトンネルの中。
師匠はずっと「あなたは絵はとっても巧いのよ。でも面白くない。誰も欲しいと思わないのよ。欲しいと思えるドラマチックな絵を描かないとダメ!」と言って、私に発破をかけている。
そう言われたってさ、
私の画力がどの位まで伸ばせるのか、私自身が解ってない。
人間は、他人の事が解る割に、自分の事が見えてない。
師匠に「あなたなら描ける!」と言われるたびに、私は
「無理です!描けません!」と身をすくませる。
でも本当は、描けるのかもしれない。
恐る恐る、パステル用紙に色を置く。
迷いながらも、次の色、その次の色を置いていく。
もしかしたら、良い絵になるんじゃないかと思って。
全然ダメな事もあるけれど。
2022年がもうじき終わる。
私のこの、停滞した日々も終わる、はず。
来年こそは、前を向いて進みたい。
運気を上げて、福を呼びたい。
第2ラウンド、第3ラウンドと、STEPUPして行きたい。
実は、うっすらとだが、夢がある。
まだまだ漠然とした「夢」だけれど、
その片隅を掴んだ手から逃さぬよう、大事に温めて育てたい。
そこから何処に飛んで行くのか、まだ形にもなっていないけれど、
私だからこそ出来る事だと思って、未来に伸ばしたい。
何かを産み出すのって、産みの苦しみが伴うもの。
子の無い私は陣痛を知らないが、子の無い痛みは辛かった。
そこを乗り越えた時に見えた風景は、今も私の支えになっている。
幸運の女神はきっと、痛みの先で待っている。
停滞する日々は、女神の贈り物かもしれない。
大丈夫。
私なら、出来る。
これ、座右の銘にしようかな。
(ちなみに今の座右の銘は「明日出来る事を今日するな」だw)
クリスマス間近の寒い日に、そう思った。