2年経って思うこと。
今年の夏の暑さは尋常じゃない。
と、日本中のあちこちでみんなが言ってる。
地球温暖化どころじゃない。
地球灼熱化だと、某エライ人が危惧しておられた。
本当に、焦げそうなくらい暑い。大げさじゃなく。
その暑い熱い8月も、もうじき終わる。
母がお茶を飲みながらふと、独り言のようにつぶやいた。
「一昨年の夏も暑かったんだろうね。全然知らずに過ごしちゃったけど」
一昨年。
そうだな、一昨年も、暑い夏だった。※去年もだよ
でも、今年ほどじゃない。
一昨年の夏は母にとって、81年生きてきた中でも、忘れられない特別な日々となった。
私にとっても、だ。
母はその年の7月、庭の草取り作業で腰椎を圧迫骨折し、急遽入院する事になった。
お産以外に入院経験の無い母にとって、それはまさに晴天の霹靂だったろう。
家族も同じだった。本当に驚いた。
当時私はまだ会社勤めをしていたので、母に頼っていた様々な家事を全て担い、猫の世話もし、更にはその半年前に亡くなった父の新盆もあって、法事の事もこなさねばならなかった。我が家地方のお盆は7月なのだ。
出勤して午前中の勤務をこなし、昼になると急いで家に戻ってエアコンの温度を調節し、留守中に届いた生協の食材を冷蔵庫と冷凍庫にしまい込んだ後、猫たちのご機嫌伺いをしてまた会社に戻って夕方まで勤務・・・と言う毎日を繰り返していた。
夕方帰宅したら、また猫の世話。郵便物や宅配荷物を確認し、夕飯の支度その他でまた走り回り、その合間に新盆のあれこれ。
その頃、ちょうど我が家に来るようになった黒猫が、4匹目の家族として室内に迎え入れるタイミングを計っているところだった。
黒猫は若く、先住猫(メイ♀12歳・モモ♀12歳・コタロウ♂?歳全てキジトラ)達には脅威でしかなくて、彼らは警戒心をなかなか解いてくれなかった。
猫たちの間に生まれる緊張感をほぐそうと奔走しつつ、
入院している母の事もずっと気がかりだった。
当時は未だコロナ騒動まっただ中ゆえ、面会は禁じられていた。
その為、母とは携帯電話でのやり取りを毎日続けて、母の希望する衣類や本、筆記用具など、仕事と家事の合間に買いに走って、病院に届けた。
慣れない事を続けると、心身にガタが来る。
私の場合、持病の悪化と言う形であらわれた。
潰瘍性大腸炎の再燃だ。
刺すような腹痛ののち、下血した。
更に、疲れからソファに横たわって寝てしまい、あ!と飛び起きた際に首を寝違えた。これがまた、地味に痛いのよ(ノД`)
ハライタに加え、首が回らなくなった上に、猫は戦闘モードの一歩手前だし、母の退院の目処は立たず、お寺の事やら仕事やら。
んでもって、暑い!!
午後、車で会社に戻るときに、ハンドルを握りながら声にならない声をあげて絶叫した事もあった。相当参っていた。
ある晩、
夫の加とさんが帰宅した時、ついに堤防が決壊したかのように、泣いた。
子供がギャン泣きするように、いいオバさんがわあわあと泣いた。
加とさんは笑いながらヨシヨシと頭を撫でてくれた。
不思議な事に、10分もすると首の痛みが治まって、お腹の調子も軽くなった。
加とさんはレイキヒーラーでもあるから、手当療法が功を奏したのかな。
それはともかく、
そこからの私は少しずつ元気を取り戻していった。
底まで落ちたら、後は登るだけ。本当にそうだ。
家に来るようになった黒猫♂は、我が家飼い猫9匹目と言う事で、Q太と名付けた。推定1歳半くらいか。
8月末、ついに母は退院した。
2年前のちょうど今ごろだった。
すっかり元気になった母を病院に迎えに行き、ああ、私は乗り越えたんだな、と思った。
今年。
母は83歳になり、色々忘れっぽくなって耳も大分遠くなった。
それでも、相変わらず庭の手入れは好きで、曇り空の日には涼しい場所を選びながら草取り作業をしている。
また骨折したら大変&熱中症の危険もあるから、
無理は絶対ダメと繰り返して言うんだけど、娘の心、母知らず?
でもあんまり言い過ぎてもなぁ。
あの夏から2年経て、結構大きい壁を乗り越えていたんだなあと、今になって解る事もある。
相変わらず猫たちの間(黒1vsキジトラ3)には若干高い壁が残り、時々Q太がそれを飛び越えてくるのでバトルになりかけるんだけど、少しずつ、それは低くなりつつある。※1mmぐらいずつなんだけどねw
持病は、鍼灸院で鍼治療を受けてから全く症状が出なくなった。
ビバ東洋医学!
こないだもまた軽く寝違えたんだけど(ソファで寝るな)鍼で一挙解消。
すごいな鍼。
不完全ながらも、私達は日々なにかしら「乗り越えて」生きている。
まだまだ未熟で、迷う事も多い人生だけど、この先もきっと、
泣いたり怒ったりしながら「乗り越える」んだろうな。
よく「神様は乗り越えられない試練は与えない」と人は言う。
そんな訳ないと思う事も多い世の中だけど、それはきっと、乗り越える方法が色々あって、なにを選ぶか、ってのも大きいんだろうなあ。
何があってもサクッと越えて行けるような、強さと運と行動力を、私だけじゃなくみんなが持てますように。
そんな事を、丸くなった月に願う夜である。