他責思考が急増している原因について。~日本人に根深く残る武士道精神の弊害~
「やりたいことで生きる人を増やしたい」
やりたいことで生きることができていないことを問題にする社会になった背景から実際の手段まで、一定の知見と思考が溜まってきたので、発信しつつ仮説検証を進めます。
興味ある人、連絡ください。
現代社会では“やりたいことがない”が課題
現代の社会について
現代社会に生きる日本人は、困ることを忘れてしまった。夜は暗いなら電気をつければいい。お腹空いたらご飯を食べればいい。
生きることで精一杯だった数百年前から生きることは当たり前になり、何かをしないと死ぬという切羽詰まった状態になることはほとんどなくなったと言える。
よく深い人間はさらに幸せを追求する。
そうして、社会は便利に豊かに発達する。
世界中で商品・サービスが溢れ、生活する上で困ることはない。今後増加するものは、より生活を豊かにするものであり、1000年前から考えると贅沢品ばかりである。
日本人の幸福度はG7で最下位
前提として幸福=欲求が満たされ、満足している状態だとする。
世界中が幸せになるために発展したはずなのに、
先進国として、生理的欲求・安全欲求は水準高く満たしているはずなのに、
幸福度を世界と相対比較したランキングで日本の順位は低い。
マズローの5段階欲求で考えると、社会的欲求以上を満たしていないと捉えることができる。
数学の点数のようにまるばつがあるわけではないので、幸福度も捉え方は人によってさまざまである。
そこで、世界の国々と比較して社会的欲求以上の欲求に各国の市民の受け取り方が影響していると考えた。
つまり、それは日本人の基礎的な性格と育つ環境が影響しているのではないだろうか。
“やりたいこと”を阻む要因
①基礎的な性格要因:武士道
武士道とは、新渡戸稲造が海外の国々に日本人の特性をわかるように書き記したものである。
武士道の精神を否定したいわけではなく、この「忠義」にフォーカスを当てたい。
「忠義」とは言葉の意味の通り、“上の立場の人間に従うこと“。これが作成された当時は、“上の人間が間違った道に進もうとしているときは、下の人間が正しい道に進ませるよう進言する“という意味も含まれていたようだが、資本主義は後述の意味をとっぱらった。上の立場の人間い盲目的に従うことを、日本人の道徳にした。
(上と下の定義は好きではないが分かり良いように今回は使用する)
人間が自身の利益を追い求め、かつ長期的な利益を考えることができない生き物だ。
だから上の人間は自身の都合がいいように下の人間を動かす。
日本の政治家は高給取りなのがその証拠。
上の人間は、自分の命令に従う人間を優秀だと持ち上げるから、下の人間は優秀になるために上の立場の人間に従わなけれならないと考えるデフレスパイラル。
こうしてできたのが現在の日本社会。
②基礎的な日本人の性格を作る要因:教育
日本の教育は、勉強。
欧米の教育は、学問。
この違いの一つは、正解があるかないか、である。
リベラレル・アーツなんて言葉が使用されるようになりましたが、これは学問の領域。日本の教育は、上の立場の人間によって答えが用意されており、上の立場の人が満足する回答を作るものである。
自分で0から思考する学びは排除されている。
やりたいことを見つける上で、個性や自分らしさを考えさせられるが、わからないことが多い理由は、個性を潰す教育を受けているからである。
いざ、個性を考えようとしても、正解がないことへの不安に襲われ、自信を持つことができないことにつながる
③環境要因:日本人を取り巻く環境
これまでの内容より、社会一般的に評価される行動をとることが生きていく上で良しとされていることがわかる。
だから日本人は、人の目を気にする。そして、自身の行動は上の人間の指示であると、他責思考になる。
自分で判断することができない人間が生まれる。
現代の問題解決の手法
ではこれらの問題に対して、どう向き合っていくのか?と言う本題について。
現代社会は課題に対して新たな解決策を提示することで発展している。
(例えば、夏暑い→うちわ→扇風機→クーラー)
しかし、夏が暑いという環境変化への本質的な課題に対してアプローチしていない。
私は、この“やりたいことがわからない”問題に対して本質的な解決策を考えている。
付け焼き刃的解決策の提示ではなく、本質的解決に向けて、動き始めてます。
解決策については、また今度。