物語性・一貫性不足が命取り?戦略論から見る日本の新型コロナ対策の脆弱性

戦略とは、めざすゴールと道筋を決め、決めたことにリソースと行動を集中させて、目的を達成することだ。国家の新型コロナ対策を戦略論の視点から整理してみよう。

戦略が機能するには、高次の合理性、物語性、一貫性が求められる。合理性とは、何をめざすのか(What)とその論理的な道筋であり、ロジカルシンキング(論理的思考)の領域である。物語性とは、なぜ我が社・我が国がやるのか、やらねばならぬのか(Why)について、聞き手(社員・国民)の魂を揺さぶり、行動を駆動するチカラである。「ストーリーとしての競争戦略」(楠木健著)にある通り、優れた戦略には思わず人に話したくなるような、感情に訴える要素がある。そして、一貫性とは、リソースを集中させて、いかに戦略を実行するか(How)である。美しい戦略があっても、実行がなければ成就しない。決めたことをやる徹底力・実行力とも言える。

そして、戦略に重要なことは「やること」だけでなく、「やらないこと」を決めることだ。時間とリソースは有限なのだ。他社(他国)がやっていることでも、常識的に当たり前と思われていることでも、自社(自国)の戦略に重要でなければ、バッサリ切らなければいけない。そうすることで、はじめて自社(自国)らしい、差別化された戦略が形づくられる。

この視点で各国の新型コロナ対策を見ると、新聞記事とは少し違う風景が見えてくる。戦略は、自国の状況、リソースや強みに合致しなければ、論理的に正しくても機能しない。だから、新型コロナ対策は国ごとに違って当然だ。たとえば、シンガポールは徹底した感染の監視と接触者の追跡調査で爆発的感染を防いでいるが、これは国土の小ささ、追跡力の高さと、半ば強制的に個人のプライバシーに国が手を突っ込める文化に合っているから成り立つのであり、国土も(シンガポールよりははるかに)広く、人口1.2億人、個人の自由を尊重する日本で同じアプローチは成り立たない。

さて、戦略としての日本の新型コロナ対策は、きわめて明快だ。ゴールは「医療崩壊を起こさない。時間をかけて、ピークを作らず沈静化する」ことに置き、その重点目標として、以下の3つを定めている。
・クラスターの早期発見(大型化する前に潰す)
・重傷者への集中治療(無症状や軽度の患者の優先度合いを下げる)
・市民の行動変容(手洗い、マスク、三条件:換気が悪い密閉空間、人の密集、近距離の会話が重なる機会の回避)

この戦略には、「軽い症状や疑い程度の人のPCR検査はせず、医療リソースを検査に割き過ぎない」こと、「軽い症状の患者で病床を埋めない」こと、「感染者数の正確な把握は放棄する」ことの「やらないことの決定」も含まれている。したがって、本戦略の短期的なKPI(重要指標)は、「感染者数」ではなく、「死亡者数」「クラスター数」「クラスターあたり感染者数」「病床使用率」で捉えるべきだ。

合理性という観点からは、少なくとも短期的には本戦略はよくできていると思う。筆者は感染症の専門家ではないので、長期的な戦略として正しいかは判断できないが、時間を買って感染爆発を防ぎ、その間にワクチンおよび有効な薬の開発・検証が進むことに期待するという考え方をすれば、長期的な戦略としても正しいように思われる。

しかし、「物語性」(メッセージ性)については、本戦略は機能していない。リーダーのメッセージの伝え方に疑問符がつくことについては、ドイツのメルケル首相やニューヨーク州のクオモ知事の覚悟ある強いメッセージと我が国の棒読みメッセージの比較も含めて、様々なところで議論されている。しかし、メッセージ性は伝え方の問題だけではない。そもそも、大切なことを伝えていないのだ。筆者が考える重要メッセージは以下の通りだ。

• これは時間を稼ぎながら感染爆発を防いで、社会・経済の完全停止を避ける戦略なのよ。ヨーロッパやアメリカみたいに、都市封鎖(ロックダウン)したくないよね?今のようにレストランや買い物に行ける状態を続けながら、何とか凌ぎたいよね?
• 感染爆発を防ぐために、闇雲なPCR検査や、軽度な症状の人が病院に来ることを避けてるの。この戦略の代償の一つは、感染者数を把握できないことで、発表数の少なくとも5〜10倍の感染者(無症状含む)が街にいるからね。あ、あなたもその一人かも。
• 日本は危機になったら、強い現場力で凌ぐのが伝統的に得意なの。今回の現場は、国民一人ひとりの生活現場。皆さんの手洗い、マスク着用、3条件の場の回避が徹底できれば、最悪の状況は回避できる。そのうちにワクチンや薬の目処がつけば、収束を迎えられる。
• 3条件が重なりやすい業界(イベント、スポーツ、一部の飲食と旅行)には、申し訳ないけど負担を強いることになるの。ここは政策で支えるから、安心して、しばらく我慢してね。
• もう1回言うけど、都市封鎖したくないよね?今の状態、欧米より大分ましでしょ?海外行くのとか、大勢で集まって騒ぐのは、もう少し我慢しようね。

こうした戦略の物語性が届かないから、現場は不要なまでに不安になったり、急に緩んだりするのだ。

そして、「一貫性」、すなわち戦略の徹底力にも、大きな問題がある。どんなに良い戦略も、正しいリソースの投下と徹底した実行がなければ、絵に描いた餅となる。そういう意味において、先日のさいたまスーパーアリーナのK-1は、なんとしても避けるべきであった。なにせ、3条件(換気が悪い密閉空間、人の密集、近距離の会話と発声)が揃った空間に6,500人が集うイベントである。これ一つで、数百個のイベント中止が無駄になるインパクトだ。これをやっていいなら、今まで中止したイベントのほとんどは問題ないことになる。緊急事態宣言を出さなくても、止める手段はあったはずだ。首相が直接呼びかけ、「経済的損失の最低限の保障は国が行うから止めてほしい」と言えば良かったのだ。0か1(緊急事態宣言を出して指示をするか、主催者の自主性に委ねるか)の間にある解をひねり出すのが実践的知恵ではないか。

ちなみに、筆者が考えるもっとも重要な緊急経済対策は、上でも書いた「3条件が重なりやすい業界」への集中支援だ。現状では、新型コロナの経済への影響はあらゆる業種・業界に及んでいるのでなく、「特定の業界のみに壊滅的な打撃、それ以外の業界は耐えられる程度の打撃」を与えている。したがって、緊急の無利子融資でつないだ後は、手間がかかっても打撃を受けた業種・業界に特化した支援をするのが正しい。このメッセージが出てこないから、イベント中止がそのまま死活問題になる現場では、強行するケースが出てしまうのである。これは、公平性の問題(年金生活者は収入が減っていないから一律現金給付はいらないという議論)だけでなく、戦略の一貫性、徹底性の問題でもあるのだ。何より、「ああ、あのイベントが開催されてもいい程度にしか、心配しなくていいんだな」というメッセージを国民に送ってしまったことが、非常に痛い。

さらに、コロナ感染が拡大する海外地域からの帰国者のチェックがザル(成田空港でも地方空港でもスルー)なことも、一貫性という点からはきわめて問題が大きい。新たなクラスターが予期せぬ場所から起きるリスクを垂れ流ししては、クラスター潰しは、終わらぬもぐら叩き(疲弊して必ず負ける)となる。特定国から到着した搭乗者を他の便の搭乗者と別ルートでチェックし、その後の自己隔離と状況申請をさせることぐらい、今のシステムと空港の構造でもできるはずだ。

上述の通り、日本の新型コロナ対策は、卓越した合理性ある戦略を立てながら、物語性と一貫性の欠如により、実効性を発揮しきれていない状態にある。さらに付け加えれば、どんな戦略も実行から結果が見えるまでにはタイムラグがある。この戦略のタイムラグは約10日であり、通常の企業戦略よりはるかに短いが、それでも昨日の失敗は、今日には明らかにならない。そして、失敗と分かったときにはすでに手遅れというのが、医療崩壊が起きた欧州の都市の現実である。K-1や空港スルーが致命的な結果を招かないことを祈りつつ、一刻も早く物語性、一貫性の欠如が持つ脆弱性を取り除くべきと思う。

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