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知らないことは怖いことなら、知れば怖がらなくてもいい


何年生きてもホンマに人生面白いのは、日常で関わる人はいつも学びと課題をくれるから慣れてそうで全然飽きない。全ては自分の気の持ちようなら、その「気」をどう持っているのか改めて見つめなおしてみる。

毎日様々な人と出会い、深められるかどうかを楽しんでいるが、これもまた今の自分次第で大きく変化していく。

それでも油断してると使ってなかった感覚はいつの間にか錆びていて、その反応に困ることがある。人の悩みのほとんどは他者との「比較」か、人間関係からの「思い込み」だから、うまく噛み合わないときはとっても居心地が悪くなる。

けどそれも含めて、自分次第ならまず基本に立ち返って「自分」を整えてみてはどうだろうか。

知らせてもらってないこと

僕自身この国を離れて初めて知ったことがとても多い。そんなことを知るたびに色んな事を学校やメディア、家によっては家族からも教えてもらえていないことにようやく気付く。それどころかどこか気付かせてもらえないとさえ思ったりもする。非常に高度な誘導尋問によって、無意識的に迎合されていく人々。
エライとされる人たちによって決められた秘密の仕組みはタブーとされ、大きな声では話せない内容になり、余計に声は小さくなる。ある一定のマイノリティの巣にさえ辿り着かない限りは。

歴史、現状、添加物、物流、経済、差別、薬、毒、政治、教育、SNS、法律や制度、実際良さそうなものが悪いもので悪そうなものが良いものということ。強者によって都合が悪いものには蓋をされ、そこから遠ざけられては思考停止になっていることにも気づかない僕らはどこに向かうのか。

しゃべくり大作戦@東山いきせん


その人が怖いのは知らないから

だからこそ中途半端に世界を知ってしまったときは怖くなったりもした。
この中途半端というのがみそである。知った気になる程度では、この世界の闇は開けない。

けど、諦めずにそこに向き合って戦ってる人々の存在を知ることは非常に勇気づけられる。だからこそ学べるし、諦めずに共に戦える仲間が増やせて行ける。現状も人の想いも、しっかりと知りさえすればどんどん知りたくなるし、広めたくなる。無駄なことなんか本当はそんなにないということにも気づくことができる。

結局は今の自分を創る試練すべて含めて必然でしかないのだから。いつからでも変えられる。自分の覚悟と言動さえ決めていけたらその瞬間に目の前は変わってる。

選挙フェスにてKZさんと!


インプットにもアウトプットにも勇気がいる

そう。誰が見ていてどんな反応をするかわからないから。
これもまたやってみなければ知り得ないことだから少し怖いのかもしれない。

先日在日の友人が〇〇人というだけで暴行を受けた。7人に囲まれながら携帯も奪われとっさに逃げ出したらしいが、彼の一言は「それでも自分の祖父世代が食らってきたものに比べたら屁のツッパリ!」。勇ましすぎる。

わけわからんあからさまな差別がここ関西、いや今の日本中にもまだはびこっている。イスラムや黒人、学校や会社のいじめ含めてまだ終わらぬアパルトヘイトのように未だ蝕む愚かな人災。

自分を守るためなら人も傷つけていいものか。そんなの在り得ない。

この間前線で戦い続ける様々な勇気ある大人たちと話してきたけど彼らも怖くて不安になることがあるというが、それが仕事やお役目だとしたら、それだけでアイデンティティをもって立ち向かっているとのこと。それ自体が誰かの寄り酔いになり、結果勇気や希望を与える影響力になる。筋を通せる人はかっこいい。
そもそも逃げも隠れもしなくてもいいのだ。

中国の白紙革命でもあるまいし、俺たちは何でも言える。そもそも中国だろうと台湾だろうと、ウクライナだってそうだ。誰にだって発言権はあるはずだ。それすら封殺される世の中ならいよいよ避けずに向き合うしかない。

だから僕らはイベントをする

仲間で囲む最高の飯@無人島リトリート

今に向き合うために、
自分や目の前の人、もしくはその他の人の為に。

この記事のアップが2.3か月も伸びてしまったのは、この間そういう経緯もあってインスタのストーリーズを上げるようになったり、書き込み式の名著「あなたのしたいことをもっとやりなさい」を始めたのも大きい。全然時間ないほど吐き出し続けている。

それでもやはりオフラインイベントはなかなか人が集まらなくなってるのは俺の周りだけではないようだ。なんとも悲しいことだけど、これが現実。いくらいいイベントを創ってもこれでは次やる意欲さえ削られていく。自分の影響力や人徳のなさに頭を抱えて反省する。それでもめげずに続けたいと思うのは、誰かの為にではなく、そもそもおれがやりたいからだけなのだ。そのくせオンラインは炎上しそうで怖いからとアウトプットを拒んできたが、今後は独自の発信源をもってラジオでもオンラインライブでもやっていこうと思っている。だってまだまだ全然インプットもアウトプットも足りないからだ。

今までそんな大したことも考えてないのに、何をビビっていたんだか恥ずかしくなる。これもまた過去のトラウマが無意識にそうさせてしまうのであれば、どこまでもタイムトラベルしてその時の自分を抱きしめて許容し、感謝して認めるようにする。多かれ少なかれ、誰しもそういうことがあるだろう。だから自分から変わり続けていく。誰がどうとかいう余計なお節介ではなく、結局は自分なのだから。

これからも内外共にアウトプットしていく所存。それが俺のライフワークであり、役割だからかもしれない。

距離は関係なく、大事な俺らの今の為に。

一曲限りのVOCALデビュー「ある少女の物語」@琵琶湖ビーチパーティ

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