必然な「今」の気付き方
毎朝の通勤で見かける緑髪のあの人もようやくマスクを外した。
そうやってひとり一人が気付いていく社会の中で、話したこともない人からもその変化に気付けるようになってきた街角。実際何があったかは知らないけれどもだ、これまで9割以上の人たちがつけていた異様な光景も、逆に新鮮に映ってようやく気持ちも晴れてきた。
そんな時に聞こえてくる曲まで全て必然で、今の自分に突き刺さる。この心を合わせ鏡にしたかのような、胸に響く想いを乗せて、今日も空は高く気持ちが晴れていく。
必然
大阪駅のホームに降りた瞬間、爆音でホームを駆け降りる。どんな曲か選ぶのが億劫な朝はランダム設定にするも、流れてきたイントロを前に「この気分じゃないんだよな」と思いながらも流し続けると驚きのメッセージ。今の自分の状況にジャストなフレーズが頭の奥底に響き渡る。
諦めないことをテーマに唄う「WACK is F×××」「family name」、そして職場に着いてからラジオから聞こえてきた「花の名」。もう朝から気付きと発見に泣きそうになる。これは最近自他共に大事に語ってることが、こうやって流れてくる曲からして繋がっている。まさに目の前の現実にあらがうことはできないどころか、ホンマに助けられている。
人間関係も政治も叱り、自分らの目標や戦争も叱り。
大事なのは諦めない心。
例えば「この場にこんな人がいたらいいのにな」と無いものねだりで願うことがあったとしても、「何でじゃあいまそういう人がいないのかと言ったら、決して運が悪いわけではないことに気付く。むしろそれに気付かせてくれるという点では物凄く運がいいことなのだ。
今繋がってる人間関係なんかまさにそう。
自分にとってしんどい人がいる場合、大概その人は自分に対する気付きを与えてくれるトリガーになっている。それに気付けなければうざいだけだろうが笑、それすら鏡で自分をかえりみることができる。それこそ相手は変えられないから自分が気づき改めたもん勝ち。そうやってこちらから変化して、周りもみんな気持ちよくなってたらいい。心からそう願うから、気付いた順に自分をごそっと変えてみる。
だって結局どうあったってそれが出来る人たちにしか会えないんだから。だとしたらそれらを出来てないのは自分自身。自分次第なら大抵のことは変えられる。
「都合のいい右腕的人」なんて、今の自分には存在する必要がないのかもしれない。
これだけ世界は必然と創られている。
諦めないど根性
だから今を諦める理由になんてならないからそんな必要なんてない。
ここに気付けない人や、もしくは諦める人は恐らく矢印を外側にしてしまい、何でもかんでも何かのせいにしては現実を呪ってしまうんだろう。だから苦しくなる。自分が巻き起こしてることとも知らずに、実は気付かせてくれている対象に刃を向ける。それは滑稽すぎて誰も気持ちよくなんてなれない。
それでも実際は難しい状況に見えるかもしれない。だからこそ逃避投影するほどの防衛本能が働いてしまう。本当は敵なんて誰もいないのに。
誰もが素直に接することが出来れば「それを知らずに誤解して」憎しみ合うこともない。
世間を不安であおる風潮も、日々自分が選んでいる信じるもの次第。あなたの周りにも、間違いなく素敵な人がいるけどどれほどの人に気付けているんだろうか。
いつだって諦めるのは自分自身の視点と盲点。相手にや周りの環境に対してやることではない。目の前の世界=自分自身。だから鏡となって現実に現れるのなら、逆問題を難しくしてるのは自分以外ないんだろう。
そんなことを共に感じられる仲間が俺にはいる。だから有り難い。日々愛と感謝しかないのだ。
疑わないが強さ
それでもなんだかんだ言って陥る闇もあるだろう。じゃあなんでそれらが人生につきものなのは、大事なことを再確認させてくれる合図なのかもしれない。だからこそ次はこの名言が来る。
「疑わないこと。それが強さだ」。
事あるごとに救われるこの言葉の説得力と力強さはもはや俺の座右の銘になっている。相手も自分も過去の出来事だって一心同体。本来一つのものとして繋がっている森羅万象。いつだってすべて自分の思い通りに行かないのと同じく、周りだっていろいろあって大変なんだろう。そんなとき、人は愛
を忘れてはすれ違い、勘違いをして誤解を招く。そうすることで相手だけではなく、実は自分も世の中も疑ってしまうのだ。
それらは元々不安定だからではなく、自分が弱まっていると忘れてしまうの。日々のお陰様・お互い様を。だから俺は手紙や寄せ書きが好き。いつでもあの頃のハッピーで感動の場に連れて行ってもらえる。そういう時に人は今なら何でもできるかもしれないと思えて気持ちが自由になる。
そうやって「気持ちよく」心を受け止めて、今関わるもの全てと愛を育みたい。
サンボマスターも言ってたように「悲しい言葉では世界は変わらねーよ?」。全ては僕らの受け止め方次第なのだ。