親の老いを受け入れる葛藤
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
先日母親と何気ない会話から今の母親の気持ちを聴くに至りました。
でも、どうしても私は「喝を入れる」という気持ちにしかなれませんでした。
せっかくコーチングを学んでいるのでそれを活かして傾聴や承認等々コーチングの流れを取り入れて会話をするのがベターだったのかもしれないのに。
初めは傾聴をするつもりで話を聴いていたのですが、段々と主観が自分の中にうごめいてきて「ああああ!もう!!」という気持ちに。
母親の言い分は分かるし、母親の状態から考えたら不安を感じたり、後ろ向きな気持ちになるのも分かる。
主治医とも色々と話をしているようで、これから治療も少し変えて様子を見ていくことにしたそうです。
話を聴くに、治療を変えたらまた少し調子は良くなると私は思いました。あとは母親の気持ち次第。
でも今のまま自分の状態を低く見積もっていたら、それ以上良くはならないと私は思ってしまったわけで…。
それでも一段落つくまで話をして、結果として母親は少し前向きになったようにも見えました。でも私の中ではモヤモヤが。
最近は母親に対してふと小さなイライラがたびたび起こります。
極力怒らないように、母親の気持ちを尊重してスルー出来ることはするようにしているのですが、突発的な行動や発言に対しては強い口調で伝えてしまいます。
昔ならお互いそんなことでモヤモヤすることもなく、時間と共になかったことに出来ていたのですが、今は私の中にずっとモヤモヤが残ります。
私が大人になったのだとも思いますが、弱ってきた母親に強く当たってしまうのが心苦しいという気持ちが強いです。
極力自分の気持ちを穏やかにして、出来る時は時間を作って話をしたり、肩を揉んだり、家事をしたりと自分なりにやってはいるのですがどうにもスッキリしない。
きっと自分の母親が死に向かって歩いていっているようで怖いのだと思います。
母親自身も自分が衰えていっていることを十分理解していて、それに抗うにも絶対的に抗えない持病があって、年齢と共に気力も衰えていっている。
その姿を間近で見ていると人が死に向かっていく姿が明白で、自分の親だからこそ受け入れられない。
受け入れてしまえれば優しくも出来るのかもしれませんが、どうしても受け入れたくないという自分がいるのだと思います。
受け入れる=諦める
そんな考えが自分の中にあるのかもしれません。
人は誰しも毎日死に向かって歩いています。しかし、努力で時間に抗うことは多少なりとも出来る。とは言え「いつ」が分かるモノではないので、努力が無になる可能性もありますが…。
でも、努力を活かせる可能性があるからこそ、人は前向きにもなれるし死を意識することなく過ごすことが出来るのだと思います。
ただ、どう努力をしても人よりも死に向かう速度が速い人がいます。そのような持病を持った方々です。そして、私の母親はその中にいます。
諦めたくないという私のエゴが母親に対して厳しい態度になって現れてしまう。でもそれは私のエゴであって、母親が求めているものではないと思います。
きっとこの葛藤はずっと続くのでしょう。でも葛藤することから逃げてしまうのは違う。
今はまだ自分のことや身の回りのことも出来ることが多い母親ですが、いずれ私の手を多く貸さなければ過ごせなくなる時はくる。
そうなった時にどうしていくのか、一緒にいるのがお互いの為になるのか、冷静に考え続けなければならないと思っています。
結論が出る話でも具体的な話でもない文章になってしまいましたが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。