メッチャ抽象的な話。
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今日は土曜日なのでツラツラと思っていることを書いてみたいと思います。
記事の最後には今週の「記事まとめ」を貼りますのでそちらだけでも見て頂けると嬉しいです。
先週から今週にかけてそこそこ充実した日々を送ってきたのだと思います。おかげでちょっと風邪気味な今日。
「送ってきたのだと思う」と表現したのには意味があって、最近可能な限り過去も未来も気にしないようにしているので物事をすぐに忘れてしまいます。
1週間前にあったことも「メモ」等を見ないと思い出せません。
なので「誰と何を話をした」とか「どこに何をしに行った」とかぼんやりとは覚えていますが鮮明とは程遠いです。
よほど思い出したいことがあったら、材料(メモ・時期・写真等々)を揃えてやっとこさ思い出せる感じ。
これが良いのか、悪いのか…。少し分からなくなってきたのが今日この頃です。
楽は楽なんだけど…
過去にも未来にもさほど縛られなくなってきたことで精神的にはとても「楽」です。
以前よりも喜怒哀楽の表現も薄くなり、とくに「怒」は影を潜めました。もちろん「イラっ」と来ることはあれど尾を引かないというか、そこにエネルギーを投下しない自分がいます。
私にとって楽しいと思うことは野球をしたり、友人とお酒を飲んだりすることなのですが、それも目の前のことに集中しているとあっという間に終わってしまう。
終わったらまた「ふ~っ」と忘れてしまうので、余韻というものがあまりありません。
以前に比べ喜怒哀楽の波が「平坦」になってきたのを実感します。
なんでも「まぁ良いか」って感じ。
以前は「まぁ良いか」で済ませられる人に憧れていた自分がいるのですが、思っていたのと何か少し違うという違和感だけがあります。
達成が近くなると飽きる
これは何事もそうなのですが「手に入れられそう」という状態になってくると飽きてしまう自分がいます。
今回もまさにそれで、以前憧れていた「何事にも平坦でその日をただ楽しむ人」に今自分は近づいてるかなと思う反面「なぜそれが良いと思ったのか?」を忘れてしまいました。
よくよく考えると「平坦」なだけでなく「無邪気に熱く」楽しむ人の方がエネルギッシュで良いような気がする…。
とは言え私は「無邪気」も「熱く」も性格的に難しい…。
ないものねだりなのかもしれませんね(笑)
「達成」したわけではないのに「達成」が間近になると何かと理由をつけて飽きるという私の性格には最近ほとほと困っています。
ラストスパートという言葉が無縁です。
マラソンに例えるなら、山を越え谷を越え必死に走ってきたのにゴール数百メートルになった途端に急に走るのに飽きてしまう。そんな感じ。
私の場合はそこで走るのを止めるのではなく、立ち止まったり、時に座ったり、逆走したりしながらもとりあえずゴールは目指す。
でも、その状態でゴールして何の意味があるのか?
それならきっぱり走るのを止めてまた他の道を全力で駆け上がった方が良いのは明白です。
なるようにしかならない
そんなことを繰り返している内に私の中で一つの答えが出ています。それが「何事もなるようにしかならない」です。
よほど強く明確に達成したい「ビジョン(夢・希望・憧れ)」がないのであれば、なるようにしかならないと私は思います。
私の場合、ぼんやりとイメージした程度の「ビジョン」でもぼんやりと達成を繰り返しています。
それはぼんやりとでもイメージしたからなのだとも思いますが、もっと強く明確に思い描くビジョンを持てればそれも達成できるのでしょう。
とは言え、そのビジョンを心から「やりたい」と強く思えるかが問題。
無意識のブレーキが頭にあるうちはずっとぼんやりなのかな~と思う反面、ぼんやりでも困ることがないから「なるようにしかならないな」と思う自分もいます。
メチャクチャ抽象的ですけど、今日はそんな気分。
今日も最後までお付き合い頂いてありがとうございました。