ハワイ アイアンマン大会とスイミングゴーグル
水泳競技を見ていると、スイミングゴーグルが進化していくのが分かります。
年々、顔と一体になるようなデザインに変化しています。
流線形にして水の抵抗を出来るだけ少なくする様に設計されています。
また、スイミングゴーグルの色もカラフルに色んなタイプがあります。
テレビを見ていて、
昔、ハワイ島 コナで行われたアイアンマン大会を思い出しました。
トライアスロン アイアンマンはハードな競技です。
アイアンマン大会が出来た経緯は、
1977年、ハワイで、John Collins氏(アメリカ海軍司令官)が宴会の席上、
「マラソン・遠泳・サイクルロードレースのどれが最も過酷か?」
と議論して、答えを出せず、
それならば「この際まとめてやってみよう」と、
翌1978年、ハワイでアイアンマン・トライアスロンが行われました。
たった15名の参加者で第1回目のアイアンマンレースが開催され、完走者は12名でした。
これがきっかけとなり、この時のレース距離スイム 3.8km・バイク180km
ラン42.195kmと制限時間17時間でのレースが、
アイアンマン世界選手権(Ironman World Championship)へと発展し、
現在、世界各地でハワイ本戦出場をかけた予選が開催されています。
今から40年前の1980年代は、昭和最後の時代、日本の産業経済が興隆期の真っ只中にあった時代です。
その時代にトライアスロンは発祥し、成長の過程を歩み出した。
日本で初めてのトライアスロン大会が、鳥取県の皆生温泉で1981年に開かれた「皆生大会」でした。
それから3年間は言わば黎明の時期を過ごし、
それが普及、発展へと大きな一歩を踏み出したのは1985年のことでした。
1985年4月には、宮古島において「全日本トライアスロン宮古島大会」が開催されました。
この大会では完走したアスリートに“ストロングマン”の称号が与えられ、
次いで6月にはハワイのトライアスロン大会と同じく“アイアンマン”の称号が得られる世界レベルの大会が、琵琶湖北東部で開催されたのです。
その名は「アイアンマン・ジャパン・インびわ湖」
そのころ、「ターザン」と言う名の
フォットネス・マガジンが創刊されました。
さまざまな企画が持ち上がる中、なにか面白いことが出来ないか?
雑誌から飛び出すような企画。
そんな状況のなか「ターザン」編集部は、国内および、
国際的なトライアスロン・レースへの挑戦を決意し、
チーム・ターザンを発足させます。
このチームを構成するのは未経験の新人(男女各若干名)とともに
世界の最高峰を目指すと言う胸躍るチャレンジです。
そのメンバーを読者から募集するのです。
このチームをプロデュースし、トレーニング、コンディショニングを
直接担当するのは白石ひろし(トレーナー)、小林信也(スポーツライター)が主宰するヒーロー工房が行いました。
1986年7月のターザンでチーム・ターザン発進の告知があり
翌8月にチーム・ターザン応募用紙掲載がありました。
結果は756人と驚く程の応募があり、
9月20日から2日間の厳格なオーディションで男女6人が選ばれました。
日本でトレーニングを積み、各レースで経験を積んで、
1987年秋のハワイ アイアンマンレースへの挑戦を目標とするのです。
雑誌ターザンでは、このゼロからの挑戦の全過程を同時進行で雑誌に連載し、選手のトレーニング環境の整備、レース参加の全面的バックアップを
約束しました。
普通に考えたら無謀とも思えるチャレンジですね。
トライアスロンの機運が盛り上がってきている時代でしたが、
日本では黎明期で、まだまだ未知のスポーツでした。
私の勤務する会社ではその情報を察知し、そのトライアスロンのグッズを
チーム・ターザンの成長と共に
同時に新開発しようとプロジェクトが立ち上がりました。
新しいスポーツゆえに、まだ、トライアスロン仕様のグッズが
完成していなかったのです。
新分野での商品拡充を図ろうとする会社の意向と合致していました。
それよりも、企画部では、面白い、新しい事に挑戦するのはワクワクするといった感じでした。
チーム・ターザンは厳しいトレーニングを重ね、国内での大会に出場を
続け、ついには、琵琶湖のアイアンマン大会を経て、
ハワイへの参加資格を勝ち得たのです。
我々も、琵琶湖のアイアンマンレース、そして、ターザンチームと共に、
ハワイ 島 コナのアイアンマンレースサポートに臨みました。
用具メーカーの立場としては、世界一ハードと思われる競技に使う新製品を開発することなのです。
安全に、快適に、1秒でも早く、そんな製品を共に作り出すのです。
同時に、勝者や上位選手、参加者が使用した用具の名をアピールすることも大きな目的の一つなのです。
我々は、ヘルメット、サングラス、スイミングゴーグルの開発と
それらのグッズのレーシングサービスを目指しました。
色んな競技の用具の良く見えるところにメーカーのマークやブランドが付けられています。
バイク(自転車)やラン(マラソン)では使用している用具は、ある程度、目で追えます。
スイム(水泳)では、ほとんどが水の中でマークもブランドも見えません。
水から上がると、直ぐにゴーグルを外すのが、ほとんどですし、遠くからでは認識できません。
どうすれば、開発したトライアスロン用のスイミングゴーグルが機能的に優れ、同時にカッコよく、強く見えて、
観客からも認知されるか?
解決はなかなかに難しい問題です。
そこで、考えたのが、単純な事で、レンズ表面に多層膜ミラーコート
マルチミラー(レボミラー)を施す事でした。
ハワイの強い光、紫外線からも目を護り、同時にファッション的にも強く
アピールし、そして差別化が図れる。
幾つもの効果を一つのスイミングゴーグルに盛り込みました。
当時はスイミングゴーグルにマルチミラーを施す発想はなかったし、そんな商品も無かったのです。
一部 シルバーミラーの商品は出ていましたが、目立つものではありませんでした。
このミラーコートを施すにも解決すべき問題がありました。
スイミングゴーグルはポリカーボネート素材で成形されたものです。
通常はポリカーボネートの表面は柔らかく、傷がつきやすいのです。
サングラスレンズで使用されてるポリカーボネートレンズは
表面にハードコートが施されています。
複雑な形状のスイミングゴーグルはハードコートが施せないのです。
(液だれ現象が起こるのです)
当初は無理やりにスピンコートをして表面をハードに仕上げました。
レーシングサービス用としては作れるのですが、量産用では全体的に
美しく出来ないので、この方法は不可でした。
試作テストで
1.ハードコート施したスイミングゴーグルにマルチミラーを施す。
2.ハードコート無しでスイミングゴーグルにマルチミラーを施す。
両方を作り、使用テストを行いました。
スイミングゴーグルの使用は水の中です。特に固いものと接触することが
少ないので、ハードコート無しでもマルチミラーの強度と耐久性は通常使用では問題なし、との結論が出ました。
選ばれたチーム・ターザンのメンバーの中で、女子3人が見事、
国内予選を勝ち抜いて、ハワイ アイアンマンに出場権を得ました。
1987年10月9日 ハワイ島 カイルア・コナ アイアンマン大会
我々もレーシングサービスチームを組み、大会出場者にグッズのサービスを行いました。
ホテルの一室を借りて、出場選手に声をかけて、我々のグッズを使ってみないか?と声をかけ、
その場でフィッティングをして、商品提供するのです。
自社のブランド名をアピールできる大きなチャンスです。
有名選手には無理でしたが、世界から出場する選手と接し、
グッズのサービスが出来るのは素晴らしい事です。
この時の縁で、後にオーストラリアチームのヘルメット等のスポンサーになりました。
私は実際に試作したマルチミラースイミングゴーグルを使って、
前日に実際のスイムコースを泳ぎました。
強い太陽の下、青い海の中で、イメージに描いた通りのスイミングゴーグルだったことを確認しました。
ハワイの海に実に美しく映えるのです。
私の仕事はその確認で、今まで、携わってきたレースが完了しました。
翌日10日 午前7時 コナ カイルア桟橋の東側から1381人のトライアスリーツが太平洋に泳ぎだしました。
まばゆい朝日の中、一斉スタートの水しぶきが美しくキラキラと輝いていました。
スイム3.8km 長いレースがスタートしました。
レースを追いかけて、溶岩道路の登りの頂点付近に陣取って、バイクレースを様子を見ていました。
コナは溶岩で出来ている島で、バイクのコースは溶岩の中を真っすぐに道が続いています。
暑い暑い中、大変なレースであることが見ていても分かります。
登坂の苦しい所で見ていたので、観客は選手に励ましの声をかけています。
グッドジョブ、グッジョブでした。
日本語でなんと言うのと聞かれたので、「ガンバレ」だと答えました。
チョット汚い話ですが、一秒でも削りたい選手はバイクに乗ったまま、
オシッコをするのです。
おちんちんを引っ張り出して、下りにかかったバイクの上からオシッコをするのです。
引っかからない様にしないとね。
チーム・ターザンの参加は女子3人でした。
小笠原久美子 905位 13時間19分13秒
勝又紀子 1015位 13時間54分37秒
大貫千恵 1210位 15時間23分8秒
皆様、お疲れ様でした。
前年の9月20日の選考会から約1年で、レースの自転車は知らない、泳ぎは不得意等の皆さんが、
厳しいトレーニングと大会に参加し続け、ハワイ アイアンマン大会に参加したのです。
そしてチーム・ターザン参加者全員が完走したのです。
ホントにお疲れ様でした。
ゴールを見ながら、興奮が冷めませんでした。
当時の男子では、デイブ・スコット スコット・ティンリー
マーク・アレンが上位を競っていました。
この大会ではデイブ・スコットがマーク・アレンを
逆転して優勝しています。
優勝タイム 8時間34分13秒
(スイム3.8km バイク180km ラン42.195km)
バイクではスコットハンドルが登場し、直線コースではスキーの滑降姿勢が取れる様なハンドルが開発されていました。
空気抵抗を極限まで抑える為です。
ちょうどこの頃、オークリーは新しい形態のスポーツサングラス
EYESHADE RAZOR BLADESを登場し、バイクやスポーツでトップ選手が
使っていました。
新しいスポーツが登場し、新しい用具が開発される、限りない進化です。
この頃からオークリーの快進撃が始まりました。
この時登場した、マルチミラースイミングゴーグルは、その後、商品化され、輸出でも活躍しました。
当時はスイミングゴーグルの地位は低く、
安価なモノが中心だったのですが、
このアイアンマンでのスイミングゴーグルは高級品で、高かったのです。
後に貿易担当者から聞いた話ですが、
アメリカで高級品スイミングゴーグルとして有名だったバラクーダの社長さんが、高級品のスイミングゴーグルを出してくれてありがとうと
言われたそうです。
スイミングゴーグルの地位向上にも役立ったようです。
単に色を付けてみたら?
が、スイミングゴーグルに革命を起こしました。
今では室内で行われる水泳競技でも
マルチミラーのスイミングゴーグルが多くみられます。
北島選手が北京オリンピックで金メダルを取った時のスイミングゴーグルは金色でした。
商品開発人生の金メダルを取った様な気分でした。
企画開発例 レボ(マルチ)ミラースイミングゴーグル
北京オリンピック 北島選手 2つの金メダルおめでとうございます。
2大会続けての2種目制覇、凡人では考えられない程の努力の積み重ねの結果ですね。
勝つことを宣言して勝つ、大変なことです。バンザイ!!バンザイ!!バンザイ!!です。
当時、ハワイ アイアンマンで開発したレボゴールドミラースイミング
ゴーグル
(20年近くなるのでくたびれていますが)と北島選手2冠の新聞記事)
■ 上記の記事を部分的なスライド動画にしています。
合わせてご覧ください。
https://youtu.be/meLGRtDKrbo
遥かなる夢
チーム・ターザンがハワイ アイアンマンに挑戦
Y社のの企画もアイアンマングッズに参加
マルチミラースイミングゴーグル誕生の秘話です。