自分の作品を他人の作品として目(耳)にすること
昔ある時、ボイストレーニングレッスンを受けていた作曲家の先生に「歌詞ノート作ってるよね?ちょっと見たいから明日持ってきて」と言われ
ちょっぴり高まる期待を顔に出さぬよう冷静に返事をし、次の日恐る恐るノートを差し出した。
数週間経った頃「じっくり見させてもらったよ〜なかなかよかったよ〜この調子で書いていってまた見せてね〜」それだけ言ってノートは返却された。
淡い期待はシャボン玉のように小さくプチンと音を立てて消えていった。
でも、まだまだ精進が足りないことは誰よりも自分がわかっていたから、過分な期待を少しでも抱いていた自分に恥ずかしさを覚えると同時に気持ちを新たにし、また前を向いた。
それからどのぐらい経っただろうか。
時は年末、師走の忙しさでつけっ放しにしていたテレビのなんとか歌謡大賞の最優秀賞だかを受賞したらしい歌い手の歌う、その歌が流れてきて思わずテレビの前に斜め後ろ歩きで近づいた。
ん?
ヒラ歌の部分に聞き覚えのあるワード←書き覚えのあるワード?がいくつもあるような……
いやいや、あはは。言葉は無限にないものね。私の作った歌詞にある言葉が幾つかたまたま他人の歌詞に出てきたとしても不思議じゃないよねえ。
そう自分を納得させているうちに、楽曲はサビ部分に入った。
げ?
まんま、私の歌詞じゃーーん……
言葉を選び何回も書き直したサビ部分……
年が明けレッスンの日。作曲家の先生から何か言葉を掛けられるだろうか……足取り重く向かったが、一切その件に触れられることはなかった。
その後もなかった。
後日、当時同じく音楽をやっていた仲間の先輩何人かにその話をしたら、原本(歌詞ノート)があるんだから正式に抗議すべきと異口同音に言われたが、私はしなかった。レッスンはやめた。
なぜ抗議しなかったのか?明確な理由はないが、たぶん当時の私はたくさんの歳上のおとなたちとの間に起きるであろう展開を予想して腰が引けたのだと思う。
あれからずいぶんと時は流れたが、今でも忘れた頃にいろいろな媒体で自分の書いた歌詞を目にしたり耳にしたりする。
先日は、有名作詞家をトリビュートする番組の企画で、ステージ上の椅子に腰掛けた作詞家の隣りで次々と自身が手掛けた楽曲を歌い手が歌うのを感無量といった表情で聴いていらした。
私が書いた歌詞の楽曲ももちろん歌われた。
「おいおい、それ、私の歌詞やろがい!」
テレビに向かって大きなジェスチャーと共に思いっきりツッコんだ。
でも、あの時、作曲家の先生からその作詞家の手に私のノートが渡らなければ、私の歌詞は今でもきっとノートの中に埋もれたまま、ノートから羽ばたくことも、この世に出ることも、誰の目にも耳にも触れることもなかったに違いない。
自分の歌詞がたとえ他人の歌詞として生を授けられたとしても、歌詞にとっては幸せなのかも知れない。