「二つの祖国」を見て考えること。
お久しぶりです。カイトです。
突然ですが僕は山崎豊子さんの作品が好きなんですよね。
小説はもちろん映画やドラマになったものもよく見るんですが、今回は昨年放送されたテレビ東京開局55周年記念ドラマとして放送された「二つの祖国」についてちょっと書こうかなと思います。
まず、この作品は第二次世界大戦前後の日系人の生き様を描いたフィクションです。
とて、山崎豊子あるあるですが例によってモデルになった人物がいたりしてその歴史性、リアリティはノンフィクションにかなり近いと思います。
そんなふうなことを考えると日本人というアイデンティティが蹂躙されていく姿はやはりかなり辛いものがあります。
さて、この作品において日系人はアメリカにおける市民であり、なおかつアメリカ国籍を持っているとしても敵性外国人として差別を受けることとなります。
そして、日本人としての血を持ちながらもアメリカで生まれ、育てられた彼らは強制収容所の中で究極の選択を迫られます。
天皇陛下への忠誠の有無とアメリカ人として陸軍に入れるかという究極のYES or NOです。
彼らの選択がどうであれ彼らに待ち受ける未来は辛く厳しいものであるのに。
それらは彼らにとって「二つの祖国」に対してどういう判断をするか、なのです。
僕らが今その立場になったらどういう回答をしますか?
そんなに簡単に答えを出せるような質問ではありません。それも昭和の時代。その回答いかんによっては母国を捨てることにもなりかねないのです。
さて、ここで僕は考えました。
今の日本でも似たようなことが行われていないか?と。
例えば、似たような犯罪が起こった時に片方は日本人だからとニュースになっても騒がれることなくもう一方は〇〇の血が入ってるからと敵性外国人として扱われネット上で大きなバッシングを受ける。
たしかにアメリカに対して忠誠を誓った日系人も時によってはジャップなどと侮蔑されることがあった。それもまた事実だと思います。
だからと言って現代に生きる我々がそのような言葉を吐くことは許されるのでしょうか?
許されていいはずがない。
先人たちが決死の思いで海を渡り築きかけた時に戦争によって壊されたものは今になってやっと完成に近づいたように思われます。
選挙権を与えようとかそういう議論をするつもりはありません。
僕らは戦争からなにを学んだのか。
と聞きたいのです。
先人たちの受けた惨い仕打ちを学び、少なくとも僕らが他者にすることはないように。
生きている人を大事にしようと。
そして、国籍やその出自によって差別することなくその人の人間性、アイデンティティを尊重しませんか?と。
少なくとも、今この国で生きている何世という人々にとって「もう一つの祖国」に居場所があるとは限らないのだから。そしてここ日本という一つの祖国で暮らしているのだから。