もういくつ寝ると30歳
「貴方は30歳くらいになったら生きやすくなっていくと思うな」
ゾンビの様な顔色の僕にゼミの先生がそうおっしゃってくれた。
先生の微笑みにはどこか捨ておけない説得力があり、他の心理学の用語よりその言葉が胸に残っていた。
「もう言い訳のしようのないアラサーじゃん」
同い年の友人とそんな話をした。
27歳。
30歳が目視できる場所までやってきた。
より歳を重ねた人からすればまだまだ若造もいいところなのだろうが、下の世代からすればそんな事情お構いなしに「おじさん」と見なされる、そんな歳に。
だが、こちとらその準備が全く出来ていない。
ちょっと前に万年床が住処の引きこもりを脱したばかりだと言うのに、もうその時が来てしまった。
元ロックバンドのボーカルの友人が30歳になった晩にデロデロに落ち込んでいたという話を思い出した。
ホントにあと3年後にくるものは先生が言ってた様な快方に向かうものなのだろうか。
「数字、数字、数字、結果…」
この一年ずっと頭を巡っていた言葉。
「プロとして仕事をするなら数字と結果を追わねばならない」
圧倒的な正論、特に芸事を生業とするなら尚の事の話だ。
いついかなる時も頭をかすめるのは数字の話、結果の話
「それって楽しいの?」
「自分が望むことをやろうよ!」
というような言葉が浮かんでもいずれは数字や結果の元に戻ってきて嘆いてしまう。
「どれだけやりたい事をやれていても、結果が出なきゃ周りには理解されない…」
やりたいことをやることで解き放たれていた様に思えても、
如何に自分が「理解されたい」「人より優れていたい」という見栄に囚われているのが分かる。
それでも生きてたい
人の中に出て生きていく限り、この劣等感と見栄は着いて回る。
仮に遥かてっぺんまで行けたとしても。
先生が掛けてくれた言葉もある種の事実だろうけど、きっとおじさんになるだけで全てがまるっと解決するわけではない。
でも、かつて引きこもってた頃と今の違いは
「それでも最期の時まで頑張って生きていこう」
という思いがあること。
その違い一つが、
暗闇の中にいる時も一筋の光となってくれる。
「病んでて落ち込んでます……」
「でも生きていくんですけどね!」
そんな後ろ向きにあっけらかんとする生き方が、
30歳になる頃にはもっとしやすくなっていますように。