山賊の後輩が退職した話
「分かっているのかい?このままでは君は生活保護にすがる他ないんだ!」
精神科の閉鎖病棟にいる友人を見舞いに行った時の話だ。
寝巻き姿の彼は足を組み、新人に説教する口うるさい上司ばりの横柄な佇まいで僕にそう説教をたれる。
「どっちが入院患者なんだっけ…?」
「何故見舞いに来てまでテメーの支配欲を満たしてやらんといかんのだ」
そんな思考が頭をグルグルしていた。
だけど、普通通りに働けないということはそれだけ立場が弱いのだと思い知った。
「今、仕事を辞めて来たんですよ」
昼前、賢しい方の山賊からそんな電話があった。
一週間前に就職を祝ったばかりだった。
就業3日ほどでご飯が食べられなくなったり、趣味を興じることが出来なくなったりといった連絡は来ており、兆候はあった。
「そっか…、とにかくお疲れ様」
そう言う他なかった。
「あんたには言われたくねー」
そりゃそうだ。
彼から見れば僕は風前の灯火の権化の様な男なのだから。
後輩が近くまで来ているとのことなので、顔を見に出向くことにした。
準備のために鏡に向かって顔を洗っていると何かがジトッと体に絡みつく様な感覚がした。
「しゃんとしろ!お前は先輩だろ!」
気づけばそんなことを口に出していた。
「これでほんまもんの社会不適合者ですよ」
賢しい方の山賊がそう自嘲するのを僕は笑うしか出来なかった。
「そんなことないよ!君は優秀なんだから」
浮かんでくるこの言葉がたとえ事実だとしても、そんなことが今の彼の何の足しになるだろうか。
ひとまず、ろくに食事が出来てなかったと言う彼を某しゃぶしゃぶバイキング店に連れて行く。
いつも通りの皮肉を口にしながら箸を進めていく彼の姿を見て一安心する。
「言ったじゃないですか頭目。僕を雇って下さいよ」
「あはは、まず僕は自分一人で十分に稼がないとなぁ」
「頼みますよ、人間一人の命がかかってるんです。責任重大ですよ」
そんな他愛もない会話が重なる度に、彼が会社に属して働いたことで自分らしさを失っていたことに胃がギュッとする。
先人がより多くの人が生きやすくするために敷いた「社会」というレールに乗っかることが出来ない。
別に不平不満ばかり垂れて怠けてるわけではなく、本当はそこに乗りたい。乗りたいはずなのだ。
しかし、表に出る事実だけを見た人に「正論」という名の的外れな劇薬をぶつけられる。
そして言い分や事情を話すのも割りの悪い賭けにしかならないため、閉口せざるを得なくなる。
同じだ。僕が以前通った場所だ。
今ももがきながら進んでる道だ。
時間が経ち、べちゃべちゃになってきた鍋を眺めながらそんなことを考えていた。
「君に体験してもらいたいものがあってね…」
カラオケに移動した僕はリュックを漁り秘密兵器を取り出す。
oculus quest2、今一部の界隈を賑わしているVR機器である。
仮にも仕事を辞めて、沈んでるであろう彼の気分を紛らわすものになればと思い持ってきたのだった。
操作を説明し、いくつかのゲームを体験してもらう。
彼は特にガンシューティングゲームに執心した。
サバイバルゲームで培った経験を発揮し、持ち主よりもスタイリッシュにスコアを稼いでいく。
「これ超楽しいっすね!」
滅多に手放しでモノを褒めない彼からそんな言葉が引き出すことができ、安堵を覚えることが出来た。
「どうしよ、マジで悩むな…」
後輩と電気屋にいた。
彼は先程楽しんだoculus quest2を買うべきか買うまいか真剣に悩んでいた。
「先輩のせいっすよ、どうしてくれんすか」
困窮した状況に更なる悩みのタネを投じてしまっただけにヘラヘラしてる他なかった。
決断は一度見送ることにして、その日は退散することにした。
「あと一週間長く働いてたら、その分の給料で即決だったんですけどね」
どうにも他人事に思えず顔が引きつった。
「そう思うと、正社員ってすごいっすね。んでもってそこから降りた僕はホント馬鹿ですよね」
そうなのかも知れない。
僕達はかつてとてつもなく優秀な誰かが描いた「より多くの人達が幸せになるための社会の仕組み」から溢れてしまった。
でも、それでも人生は続いている。
いくら周囲が「そのままじゃダメになるよ?」と諭しても、「人生終わってんじゃん、負け組乙!!」と指をさしても続いていく。
だから生きていくしかない。
そう書くとまるで吹き荒ぶ嵐の中に立ち尽くす様な悲劇のヒーローっぷりだが、そんな事を言いたいわけじゃない。
この世の中、多くの人が「終わり」と称する先にも人生はある。
そう易々と人生は終わらない。
皆んなが信じる神話から滑り落ちた先でどう生きていくか。
言ってしまえばそこからが本当に「始まり」なのかも知れない。
「とにかく元気でね」
山手線のホームに向かう彼にそう言った。
先日、祖父を亡くしてから祖母がよく口にするようになった言葉だ。
ただ生きていく。
本当の本当はそれだけでいいのだから。