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「正しい」の裏側にあるもの
こんばんは。今、メキシコは夜12時です。
普段よりだいぶ遅い時間にキーボードを叩いている。
今日はいつもより仕事が終わるのが遅く、こんな時間になってしまった。
でも日本は今昼3時ごろだと思うので、もっと多くの方に読んでもらえるのではと淡い期待を込めて、今日の投稿を書いていこうと思う。
僕は「正しい」というのがどうも苦手だ。
なぜなら、その裏側には必ず苦痛やわだかまりが残るからだ。
日本語教師の仕事は言うまでもなく「日本語を教えること」だ。
ひらがな、カタカナ、漢字、文法、発音、作文、会話、聴解。
日本語という言語をいろんなカテゴリーでバラバラに分け、その仕組みを教えることが僕の仕事である。
学生から日々日本語の文法や言葉の使い方についてよく質問を受ける。
「先生、学校"へ"行くと学校"に"行くの違いは何ですか?」
「先生、スピードと速度は何が違いますか?」
「先生、たら・れば・ならはどうやって使い分けたらいいですか?」
みなさんなら、どう答えるだろうか?
この3年間どうやったら分かりやすく説明できるかを考えてきた。
スペイン語でも日本語でもいいのだが、相手に合わせて使い分けている。
しかしながら、そういう質問が来るたびになぜか言いようのない苦痛やわだかまりがある。
自分が何かの「正しい」を教えようとしているからだ。
もちろんそれによって何人もの学生のすっきりとした「分かった」という顔を見てきた。それ自体は喜ばしいことだし、どんどん上手になっていくだろう姿を見れるのは嬉しい。
ただどうしても僕はすっきりとはしない。
考えてみれば、世の中は「正しい」で溢れていると思う。
その最たるものが「時間」だ。
1分は60秒。1時間は60分。1日は24時間。
毎日、○時にどこどこへ行かなきゃ。△時に人に会う約束がある。□時に家に帰らなきゃと自分が決めたわけでもないのに、なぜか時間はやって来る。
時間はいつも追っかけて来る。
そして、時間に遅れると「遅刻」だと言われ、「正しくない」ということになってしまう。
僕がいる業界もそうだ。
「正しい」日本語?
「正しい」日本語って何だろう?
助詞や文法をミスなく完璧に話せるようになること?
自分の思ってことを溢れんばかりの語彙力と作文力ですばらしい作文が書けるようになること?
そういう日本語学習者に出会ったことがあり、とても日本語能力が高いと思ったが、
なぜか「友達になりたい」とか「もっと話したい」というふうには思わなかった。
なぜだったのだろうかと考えてみた。
それはきっと、その人の中にある「正しい」の裏側を見てしまったからだと思う。
人は本来完璧な存在ではない。どこかしらの欠陥がある。
それが普通。
でなければ、とっくに人類は滅びていると思う。
もし「正しい」がもっと良いとされる社会なら、ロボットで十分だろう。
しかし、まだ私たち人間がまだ生きながらえているのは、どこかでそういう「正しい」に縛られながらも、「正しくない」ことも許容してきた歴史があるからに他ならないだろう。
例えば、日本の初代総理大臣であった伊藤博文。明治維新後の日本のリーダーとして、日本を近代化に導いた立役者の一人だ。大日本帝国憲法を作ったのもこの人である。しかし、彼は浮気癖がひどく、遊郭に行った帰りに遊女を馬車で連れて帰り、そのままそこでセックスしたと言われている。日本で初めてカーセックスをした人として文献も残っているそうだ。
みなさんは、今の話を聞いて、どちらの話に惹かれただろうか?
「正しい」か「正しくない」かは別として。
「正しい」と「正しくない」は表裏一体。
「正しい」はどんどん人を遠ざける。でも、気持ちいい。だから止められない。
「正しくない」も人から煙たがられる。でも、気持ちいい。だから止められない。
しかし、どちらかだけ存在するなんてことはあり得ないと思う。
それは人間が不完全な存在であるのと同じように。