わかりやすい悪魔
絶賛、第6回公演の稽古をしている。
僕の作品はよく「判りづらい」と
言われる。
時折、前時代的なものを
書いているのかも知れない、と思い
クラクラすることがある。
ていうか分かり易い物が
流行り過ぎてるだけなのでは?
と、思う。
ちょっと入り組んだアニメは批判され、
舞台なんか、
モダンな物よりも2.5次元系が流行って居る。
(2.5次元舞台を批判したい訳ではない)
テレビのニュースはわかりやすく要約され
時事問題を扱った書籍は
分かり易さが要となっている。
………悲しい。
分かり易いものを、大切に拝んで
何になるのだというのだろう。
僕たちはいつ、馬鹿になったんだろう。
選挙に行かなくなったのも
判りづらい政治に嫌気が差したのだろうか。
答えの見つかりづらい課題に
ただ「難しい」と結論付けて終わらせて
いるだけなのではないだろうか。
僕たちは明確な答えを求め過ぎている。
それってつまり、なんなの?
という問いが無意識に
大切な何かを地中深く埋めている。
答えは僕たちの足元で徐々に腐っていき、
再び掘り返した時には
瞬く間に賞味期限切れになっているのだ!
この『わかりやすい悪魔』に我々が
取り憑かれたのは
正解の仮面を被った多くの言葉(情報)が
登場したからだ。
「つまり、答えは?」
と、人は考えを放棄する。
そうして誰かの答えに縋ろうとする。
僕もその一人なのかも知れない。
そう思うと、怖くなって、
より一層、入り組んだものを書いてしまう。
答えなんか見つかってたまるものか、と。
すると、どうだろう。
僕の見つけた答えは、いつの間にか
僕の足元深くに埋まっているではないか。
難しいだけでもダメなのかも知れない。
では、何が正しいことなのだろうか。
そう思い、『カイコ』を書き直した。
書き直し過ぎたのかも知れない。
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