一日一名言 No.8 [8月10日(土) 2019年/令和元年]

君たちは一体、何を基準に善と悪を選り分けているのだろうね?(アニメ『PSYCHO-PASS』 槙島聖護)

昨日の「善と悪」のくだりから思い出した、アニメ『PSYCHO-PASS』のキャラ槙島聖護のセリフ。

劇中では、人間の思考が機械によって数値化された、人間が自ら考えることをやめてしまった世界において、一体誰が、あるいは何が、善と悪を区別しているのか、という槙島聖護の問いかけだった。

この槙島聖護というキャラは、どう見ても非道な犯罪者なのに、どこか憧れてしまう魅力を持っていた。

それはやはり、今この瞬間の現代にも通じる批判めいた考え方を明確に持ち、そこから生まれる行動原理によって、自ら選択することによって行動を起こしているからだろう。

その姿に、きっと憧れているのだと思う。

槙島聖護のセリフや行動には、俺も本当に影響を受けた。笑

というか、今でも受けているのかもしれない。

それくらい衝撃的なアニメだったし、キャラだった。

だから、また紹介することにはなると思うけれど、とりあえず今回は「何を基準に、"善と悪"と判断しているのか」ということ。

結局のところ、善か悪か、良いか悪いか、なんてことは個人の価値観によるところが大きいと思う。

もちろん、法律とか決まりごと、規則は別にしてね。

物語の世界では描かれることが多いテーマでもあるし。

一方からしたら良いことだが、他方からしたら悪いことなんてよくある話だよね。

「"正義の味方"は見方を変えれば、肩入れした方の味方にはなるが、肩入れしなかった方、"正義の味方"と相対した方から見れば、"敵"になる」っていうのもよくいう話だ。

今話題の『天気の子』だってそうだ。

穂高にとっての"良いこと"・"善"が、世界の多くの人にとっての"悪いこと"・"悪"となる話だからね。

"義賊"だったり、『ワンピース』の海賊たちもそう。

彼らは主人公だから良いように書かれているし、まぁ実際良い奴らだけれど、見方によっては"悪"にもなりうる存在だ。

そんな彼らに共通していることは、「とにかく信念や並々ならぬ強い意志を持っている」ということだと思う。

槙島聖護は「魂の輝き」だなんてかなりかっこよく言っていたけれど、わかりやすく表現しているとも思う。

そう、結局最後は自分の意志の強さ、そしてそれを貫く強さなのだと俺は感じる。

良いとか悪いとか、善とか悪とかを振りかざすような人にはなりたくないね。

それを自分で考え、選び、そして貫く。

それで十分なんじゃないかな。

それで人とぶつかったら、その時は話して議論して、いろいろなことを吸収して成長に繋げれば良いだけなんじゃないかな。

精神的なね。

とにかく、正しいだの間違っているだのという人に限って、世の中の「常識」と言われることを周りからの受け売りだとも気付かずに振り回している気がするよ。

多くのことを経験し、それから自分で考え、自分で結論付け、自分の意志で行動する。

それがとにかく大切だと俺は思うし、そう生きたいと強く感じるね。


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