火星に航行中の社長よりお話があります (前編)
「まったく! どういうことなの、いったい。もうこれで何回目? 袖がちゃんとついていないとか、ふつうありうる?」
スマートグラスの画面に浮かぶ近藤さん ―シモムラ宇都宮店の仕入れ主任― は、さわやかな笑顔を見せている。しかし、それはそれが登録写真であるからにすぎない。
杉村の頭の中にギンギンと響いてくる近藤さんのどなり声からは、彼がどれだけ怒っているかが痛いほどよく伝わってくる。
「ほんとうにすみません。まったく、弁解のしようもございません」
とにかく、謝るしかない。文字通り、まったく弁解のしようもない欠陥商品なのだ。……またしても。
「とにかく代わりの商品をできるだけ早くとどけてよっ」
「はい、それはもちろん、ただち……」
に、と言い終わるまえに、近藤との通話の接続は切れた。『通話時間:2分26秒』という表示が浮かび、そして消えていく。
一刻も早く配送部の担当に連絡しなければ。それにしても、次にはちゃんとした品物を届けてくれるだろうか? 先週は配送のクレームが何か所もから相次いできた。完全な在庫管理システムと、店舗での棚損を最小化する分配システムを誇っていたはずなのに……いかに優秀なAIが配送を指示しても、それを実行する人間側に間違いがあるとなんにもならない。さらに、品物自体に欠陥商品が相次いでいるのだ。袖がついていないトレーナーっていったいなんなんだ。
それにしても、いつからわがメロカリーナ社はこんなダメダメなアパレルメーカーになってしまったのだろう。かつて、高齢者向けおしゃれ着メーカーのパイオニアとして一世を風靡した頃がまるでウソのようだ。それもこれも、きっかけは……
「中澤社長からのお話の時間です。大会議室に向かってください。中澤社長からのお話の時間です。大会議室に……」
スマートグラスのアラートメッセージが鳴り始めてはっと我に返った。会社からの強制インストールで入れられたアラート。いまいましくも、おかげでもうその時間が近づいていることに気づくことができた。
自動的に開いたドアをすり抜けて会議室に入ると、前方の大スクリーンにはイーコン6の船内の窓から見える景色が映し出されていた。青いビー玉のように浮かんでいるのは言うまでもなく地球だ。先月の集会で見たときよりもさらに小さくなっている。
「やあ、皆さん。お疲れさまです」
中澤社長が、画面の上の方から逆さまになって、すーっと滑るようにカメラの視界に入り込んできた。
重力がない宇宙空間であることを強調するための演出がかった登場のしかただ。もう何回かこれをやっている。
「ああっと、ごめんごめん、カメラが反対だったね。皆さんからは見えにくいよね、これじゃあ」
またか。そして次に言う言葉もわかっている。たぶんもう3回目だ。
「それとも、逆さまの方がボクがかっこよく見えたりするかな。なんちゃってね」
わかったから早く始めてくれ、という空気が大会議室に満ちる。
東京エリアの全社員をこの会議室に集めているので、イスを置く余裕がない。全員が立ったまま中澤社長の『お話』を聞こうとしている。
「見てよこれ。ねえ、みんな、見える? もうこんなに地球が小さくなっちゃったよ。ヘイ、スティーブン、キャンユーゲットクローザー?」
中継用のカメラをアメリカ人のクルーに持たせていたのだろう。オッケーという声が小さく聞こえたかと思うと、カメラが宇宙船の窓に近寄った。
小さいが、アフリカ大陸やヨーロッパの方にうすい雲がかかっているのがきれいに見える。宇宙から見る地球は、たしかに美しい。
「ボクが地球を出てからもう3か月だもんね。いやー、だいぶ遠くにきちゃったよ」
全社員の集会で中継を見るという行事がはじまったのは打ち上げのときからだ。中澤社長らパッセンジャー8人とクルー3人を乗せたイーコン6が、澄みわたったフロリダの青い空に駆け上がりそして消えていくのを、この会議室から全員で見ていた。
リモート勤務が世間一般のふつうの働き方になったこのご時世で、本社オフィスに来るのは月に一度だけ、全社員集会のときだけだ。
そんな集会を行うこと自体が時代遅れであるが、中澤社長の強い要望、ようするに強制、でこの『悪習』は創業当時から続いている。
もともとは、中澤流のビジネス論や、高齢化が進む中でのアパレル業界のあり方についての持論を社員に語り聞かせるのが恒例だった。
平成時代かよと思わせるような精神論的な講話であったが、それはそれでまだ、社員の意識を上げる面での効果はなくはなかった。
今の、中継を見ながらなんの役にも立たないお話を聞くのに比べれば、まだましだったとはいえる。
「いやあ、だいぶ来たけどね、まだあと5か月もかかるんだよ。やっぱり火星は遠いねえ」
イーコン6の打ち上げ時期からのフライトコースだと、行きに8か月、帰りにはじつに13か月もかかる。2年ほども狭い船内に閉じ込められ宇宙を飛行するのだ。
そして、火星に滞在する期間はたったの10日。
もっとも、それ以上に火星にいても、研究者でもなんでもない、単なる一般人の中澤らパッセンジャーにはやることはない。娯楽施設もなにもないのだ。当たり前だが。
火星に滞在することが目的ではない。火星に降り立つこと、その事実が目的なのだ。
これまでスペースZ社が打ち上げたイーコン1から5で、火星まで運んだパッセンジャーは計40人。そして中澤らの組がそれに続いている。
パッセンジャーの中でどういう順で火星に降り立つのかは厳正なる抽選で決まっているそうだ。中澤はその中の4番目、累計で44番目に火星に降り立つ一般人、ということになっていた。
この順番、実は厳選なる抽選などではなく、きわめて不正な私的な金銭の受け渡しにより決められている、というのがもっぱらのうわさだ。
たぶん、その通りだろう。火星に降り立つ人間の何番目になるのかは一大事なのだ。とくに、人並はずれた競争心にあふれたこれらパッセンジャーの面々にとっては。
その強烈な競争心、というか闘争心、により社会的な大成功を収めたからこそ、これらの面々は、この旅行に参加するための目もくらむような大金を支払うことが可能になったともいえる。
その額、ざっと1000億円程度といわれている。
一般人には想像すらできない金額であるが、世の中には、軽くその金を払ってしまえる成功者が数多くいる。スペースZ社が提供する火星へのフライトには、そうした成功者からの申し込みが引きも切らないといわれている。
もっとも、最初はその安全性を不安視する者が多かった。しかし相次いでスペースZ社が興行する『火星旅行』が成功するのを見るや、一気にその心理的なハードルは下がっていった。今ではイーコン12のフライトまで完全に予約が埋まっているという。スペースZはビジネス的な大成功を収めたのだ。
しかし中澤にとって、自組のパッセンジャーの中での順番はあまり大きな意味は持たなかった。彼にとってもっとも重要なのは、マスコミがこぞって大々的に報道する通り、日本人初の火星に降り立つ人間になるということだ。
その栄誉をつかむために、中澤はだれよりも早く動いた。まだイーコン1が飛び立つよりもずっと早くから、スペースZに連絡を取り、予約者リストに載せてもらうように交渉し、前払い金を払い込んだのだ。その甲斐があってようやく、イーコン6のパッセンジャーに潜り込むことができたわけだ。
スペースZとの契約が成立し、正式にプレスリリースがあった日、中澤も独自に日本での記者会見を開いた。そう、この大会議室で。あふれんばかりのマスコミがつめかけたものだ。
満面の笑みでフラッシュを浴び、日本人初の『火星人』 ――火星に降り立った人たちのことを世間では火星人と呼んでいた―― となることの栄誉を高らかに語る中澤。
その様子を苦々しく見ていたのが、ライフウィンドウ社の社長、堀田であった。
AIによる医療診断サービスを提供する会社を立ち上げ、一代で大企業に育て上げた敏腕社長である堀田。しかし、火星人レースでは中澤に一歩先を越された形となってしまった。
もちろん堀田もまた、中澤に劣らずいち早く動いていた。おそらく、ほんのタッチの差だったのだろう。
あるいは、堀田がのちに繰り返しマスコミに語ったように、中澤が多額の『お心づかい』いを、イーコン・マヌクをはじめとするスペースZ社幹部に配りまくったのが効いたということなのかもしれない。同社の勇気あふれる宇宙開発事業に協賛する意味で、メロカリーナ社製のルームウエアを送っただけだと中澤は主張していた。しかし、その四半期の会社決算では、使途不明な多額の特別損失金が計上されていたのは事実だった。
結局、堀田はイーコン7のパッセンジャーに選抜された。そして、中澤に遅れること3か月、同じようにフロリダ基地から青空に飛び立っていったのだった。
月に一度、全員集会で社長のお話を聞く以外は、杉村は本社に行くことはなかった。北関東エリア営業主任として、大型商業モールや駅ビルなどの衣料品店を回るのが主な仕事だ。それもほとんどはクレームへの対応だった。顧客からのクレームは減ることはなかった。それどころか、ますます増えていくばかりだった。
色ちがい・サイズちがいの商品の納品などは、すでに日常のことと化していた。ボタンがまったくついていないブラウス、逆さまに取りつけられたポケットのシャツを見たときには、仕入れ担当者に謝りながらも、あまりのお粗末さに、情けなさを通り越して、おかしささえ覚えた。
「なあ、なんでこんなにウチの商品の品質って落ちちゃったんだろう」
ある全社員集会の日、めずらしく早めに大会議室にやってきた杉村は、同じエリアの物流担当である佐藤と話を始めた。会議室の隅の方に片付けられた長テーブルに二人で並んで座りながら、口をついて出るのは二人ともそんな愚痴ばっかりだった。
「まあ、なんといっても優秀な人がどんどんやめちゃったからねえ」
給湯機でカップに注いできたダージリンチャイをちょっとずつ飲みながら佐藤は言った。
「他から引き合いがある人は、そりゃ行っちゃうよな。あったりまえだわ」
前方の大スクリーンに映る宇宙空間のライブ中継映像をぼんやり見ながら、杉村はうなづいた。
「そうだよなあ。前期のセールスもひどかったし、株価も落ちるばっかだしな。マスコミもウチに対しては厳しいことしか言わないもんな」
『社長のお話まであと3分』という表示がスクリーン上を流れていく。
「しかたがないよ。社長の宇宙旅行の1000億円、ウチの規模の会社にはまったく分不相応の出費だもん。そりゃ、経営も傾くよな」
「そして優秀なやつは泥船から逃げていき、さらに会社は傾くと。負のスパイラルってやつか、まったく」
だんだんと人が集まってきた。が、まだまだ会議室はがら空きだ。
そういえば、前回の集会のときに、あきらかに集まる社員の数が減っているのに気づいた。『社長のお話』に出席するのは業務命令で全社員の義務のはずなのに、守らない社員が増えてきているのだ。
今日はさらに少ないかもしれないな、と空になった紙カップをつぶしながら杉村は思った。
やがて船内からの中継が始まった。赤茶けた火星が窓いっぱいに広がっていた。もうあとひと月で火星の軌道に入るというところまで近づいていたのだ。
社長のテンションはさらに上がってきているようだった。何カ月もせまい宇宙船内に閉じ込められていながら、この元気を保っているのはおどろきだ。このバイタリティがあったからこそ、ビジネスでの大成功を収めることができたのだろう。
大学生のときに雑居ビルの一室を借り、中澤はメロカリーナを創業した。紆余曲折がありながらも、30年あまりでそれを世界各国に拠点を持つ大企業に育て上げたのは素晴らしい成功だった。高齢者向けの高品質なおしゃれ着を低価格で提供するというコンセプトは大ヒットし、その後のアパレル産業の構造も変えてしまった。中澤はまさに時代の寵児であったのだ。
しかし、いまやそれが大きく傾きつつある。
「いや、ボクはね、皆さんに感謝してるのよ、ほんとに」
中澤が画面に逆さまに映ったまま、ちょっとだけ真剣な顔をして語りかけた。今日は、上下の向きを正すプロセスを忘れてしまったらしい。
「こうやって、ボクが長いこと会社を離れていても……というか地球を離れてるんだけど……みんなががんばって会社を回してくれているおかげで、何も心配せずにいられるわけよ」
いやちがう。心配になってきたからこそ、こんなことを言う気になったのちがいない。そうか、やはり、会社に対する世間の悪い評判は社長に伝わってるんだ。杉村は思った。あたりまえだ。ヤホーニュースもTickTickビデオニュースも、ぜんぶインターネットにつながったイーコン6の船内で見ることができる。もてあます時間の中で、それらを視聴する時間はいくらでもあるだろう。
「いや、世の中にはね、ほんのわずかな人たちだけだけど、心ないことを言う人もいるんだよ。火星に行くなんて、なんの意味があるのかって」
いつもとはちょっとトーンが違う話に、会議室にいる社員が少したじろいでいるのが感じられた。
「もちろん、これには大きな、大切な意味があるわけですよ。いままで皆さんにはなんどもお話してきたことですけど」
えっと、なんだっけ。杉村はなにも思い出せなかった。
「ボクはね、イーコン・マヌクの壮大なドリームに共感しているわけ。人類はやがて地球という星を飛び出して、火星に移住していくときが来るんだよね」
地球はやがて温暖化が進み、住むことができなくなる。そのときには火星に移住するしかない、というのがイーコン・マヌクが繰り返し語る主張だった。そのためにスペースZ社を立ち上げ、火星旅行というビジネスを展開して資金を集めるとともに、技術力を磨いているのだと。
「これは人類の運命なんですよ」
今は空気さえもない火星を居住することが可能な環境に変えることができるなら、地球の温暖化を防ぐこともできそうにも思うのだが、その点の説明はいっさいされたことがない。
「そのときにボクはね、火星の環境に適した衣服を提供できる最初のアパレルメーカーになるのが夢なわけよ」
はー、というため息が周りの社員から聞こえるようだった。火星に届けるどころか、今や北関東にさえまともに商品を提供できていないのだ。
「それにね、これは壮大なわが社の広告戦略でもあるわけですよ。ほら、ボクもそうだけど、クルーもみんな、わが社のルームウエアを着ているでしょ。これが全世界に宣伝されることがどれだけの広告効果を生むことか! その点を考えてもらえば、けっしてこの旅費は高いとは言えな……」
と、突然、画面がくるくると回りだした。最初、クルーが当社のウエアを着ていることを映そうとカメラをパンしたのだと思ったが、そうではないようだった。
画面はくるくると回り続け、一定の間隔で、窓いっぱいに迫った火星が見えては消えていった。
どうしたんだ、どうしたんだ、という声にならない動揺が会議室に広がる中で、大スクリーンの中継画像は突然に消えた。
あとにはただ黒い画面に『disconnected』というエラーメッセージが映るのみ。
全社員がお互いに向き合いながら、なにを言ったらいいかわからずにただ立ちつくしていた。