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最後のメリークリスマス。って物語。

サンタさんへ

今年も窓の外には雪が積もっています。コロナとやらが流行っておりますが、トナカイたちともお元気にお過ごしでしょうか。

もうすぐクリスマスがやってきます。私にとって、15回目のクリスマスです。もう15回、きっとこれから生きる人生ではまだ15回かもしれませんが。

今年は久しぶりにお手紙を書こうと思います。


12月24日。正直、私の中のクリスマスは24日でした。おいしい夜ご飯を食べ、ケーキを食べて、ソワソワしながら寝る日だったから。25日は早起きをして、プレゼントを開けるのが楽しみでしょうがなかったです。

でも、クリスマスは嬉しいことと同時に毎年訪れる試練でもありました。

だって、ケーキを食べるんだもん。

昔から甘いものが苦手だった私。フルーツすら食べれなくて、今でもケーキはイチゴだけがのった小さなショートケーキ。今はなんとか食べれるようになりましたが、小さかった私はこの時間が地獄でしかなかったです。

「ケーキ食べないとサンタさん来ないよ」

嫌だ!サンタさん来ないのだけは困る!と思って毎年頑張ってました。小さなイチゴが1つのった切り分けられたほんの少しのケーキ。1時間以上かけて食べました。イチゴが甘酸っぱい。だったら粉砂糖をかけようと、あの手この手で工夫して食べさせてくれた両親。今でもケーキは苦手だけど、しっかり短時間で食べられるようになりました。


サンタさん、小学校1年生のとき、覚えてますか?

そうです。私が入院した年です。

生まれたときから心臓に小さな穴が開いてたんだっけな。未だに長い病名は覚えられていません。

小学校1年生のとき、検査と手術で2回入院して、そこそこの大手術だったと聞きました。心臓止めてたらしいですね。びっくりです。

住んでいる町から何時間もかかる大きな病院。母は一緒に寝泊まり、父も兄も何度もお見舞いに来てくれました。学校も合わせて3週間くらい休みました。それで練習に参加できなくて、初めての学芸会の出番が少なかったのは当時はすごく悔しかったです。

でも。

7歳の私は、きっと、サンタさんが思ってるより楽しく過ごしてました。

お見舞いに親戚が来てくれたり、友達からお手紙もらったり、別に手術して何か変わったわけでもなく、胸に残った傷跡が嫌なわけでもなく、普通でした。学校は楽しいし、入院中も何だかんだ充実してました。

でも。

それって、私だけだったのかもしれませんね。

何をもらったかは、覚えてません。でもね、たくさんの愛と、長い手紙がクリスマスツリーの下にあったことは、今でも覚えているんです。

7歳に対しての手紙としては、とんでもなく読みづらかったけど。長すぎて覚えてないけど。たくさんの愛が詰まっていたのは覚えています。

不安だとか、心配だとか、よく頑張ったねってたくさん書いていたはず。きっと。なんで覚えてないんだろうなぁ。手紙も行方不明だけど。

嬉しかったです。あの時。今も、ね。


サンタさん。

もしかしたら最後の手紙になるかもしれないから。いや、もう書くことないと思うから。今までは何が欲しいとかいい子にしてたとか書いてたけど、たまにはこんな手紙もいいのかなって考えました。

私も15になりました。4月から高校生。寮生活。きっとサンタさんは心配だよね。でも、きっと。たぶん。大丈夫、です。

サンタさんに手紙を書いたのなんて何年ぶりでしょう。4・5年ぶりかな。いつからか何も言わずにAmazonに切り替わったクリスマスプレゼント。何も言ってくれなかったのが、ある意味良かったのかなって思ってます。

サンタさんって存在は愛のカタチで実在してると思うから。

だから、サンタさんを信じてます。わかってるけどね。

いるよ。サンタさんは、絶対に。


メリークリスマス、サンタさん。

                              KaiTO

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