あなたのあたりまえになれるなら。
終わったというか、やっと始まった。始められた。
その安心感がどんな感情より大きくて。私以上に喜んでくれた友達にそっけなくしてしまったのは、3月あたりに謝ろうと思っている。
久しぶりでございます。
KaiTOです。1ヶ月間もnoteを書いていないとこんなにも書けないものかと実感すると同時に、言葉にすることの難しさと久しぶりに戦っております。
ミチを拓いてきました。なんとか、1歩踏み出せる分だけは。
本当に、1歩分だけだとわかった。
次の1歩を踏み出して。踏み出して。
右足出して、左足出すと、歩ける。
小学生の頃に流行った「あたりまえ体操」の歌詞。お笑いにつっこんでいいのかはわからない。でも。本当にあたりまえだけど、その1歩が、そのミチが、あたりまえに出せることってすごいことだ。
そんな「あたりまえ」を愛さなければ。
「あたりまえ」
寒い外でマスクがべっちゃべちゃになること。
手を叩いて何百匹ものカラスを追い払うこと。
友達と昨日の晩御飯の話をすること。
家族にケチャップとってと言えること。
16時半ごろにくる郵便屋さんを待つこと。
先生に褒めてもらえること。
noteを読み返して悩むこと。
全部、何かがなくちゃ成り立たない私の「あたりまえ」。
欠けたらなくなるかもしれない、そんな「あたりまえ」。
変わり続けるし、ずっと変わらないものもあるし。いつか忘れてしまう「あたりまえ」もある。
作っていかなきゃいけない「あたりまえ」も、あるんじゃないか。
誰かの「あたりまえ」が、私と私の「あたりまえ」を支えてくれている。
仕事するのは「あたりまえ」なのか。休むのは「あたりまえ」なのか。
まだわからないけど、わかるために作りたい。創っていきたい。
発信することを「あたりまえ」にする。
Twitterのアカウントを連携させようと。今までリツイート&いいね用のほぼ話さない個人的なヲタクアカウントを使っていたが、もっと気軽に発信しなきゃいけないなと。
若さのわりに記憶力が(悪い意味で)とんでもなく、書こう書こうと思っていたことを3歩歩いて忘れる事件が何十とも発生してきたので。
つぶやきって言うより、そこそこ大きな声で叫んで。手を繋いで。
瞬間(イマ)の「あたりまえ」を、発信していこうと思う。
文章にするとき、変に強がろうとしてしまうときがある。
その一文字を消したとき、子供だなぁと思う。文字は消えても感情なんて消えないのわかってるくせに。つくづく生意気な自分が嫌になる。
世間一般の「あたりまえ」という常識が時々わからない変人で、弱さを人前で見せたくない強がり。ただの未熟な15歳。
わかってる。自分が一番、わかってるつもりでいる。
だから。
誰よりも強くて、誰よりも弱い人になる。
たくさんのことに気づいて、傷ついて、喜んで、「あたりまえ」にしたい。弱い自分を書いて、書くことで強くなる。それから生意気なこの口で、
吠えてやる。
終わる。もうすぐ始まる。いや、始まってる。始めてやる。
新章 北の大地に住む、小さな狼の物語
終わりなんて作らせない。
KaiTO