見えないアイツと私たち。って物語。
土曜日。四連休。やっと、やっとこの日が来た。学生の私にとって「連休」とは、大人からしたら給料日みたいなものかもしれない。カレンダーを見て一か月間楽しみにしていた。それに、最近何かと忙しかったから、少しほっとできる時間でもある。
noteを書く。何を書こう。今、私が伝えられることは何だろう。
考えて、考えて、私だから伝えられることを書いてみようと思った。リアルな中学生の言葉を、今を、この時代を生きている子供の言葉を、あなたに伝えてみる。今日はあの日、日々のことを書く。
「アイツ」のバカ野郎!
もう、あっという間に夏が終わった。もうすぐ今年が終わる。アイツのせいでいろいろなことに翻弄された年だった。ニュースでもアイツのことばかり。でも、一つ気づいた。
私たちの言葉はあまり伝えられてないな。何かと大変、大変とはなっていたけど、私たち学生、子供がどう過ごしていたのか、どんな気持ちで家にいたのか。アイツがやってきて、かわいそうと言われ続けた私たちの言葉を、今、あなたに伝えてみる。
アイツがやってきた。
いつ頃だっただろうか。正月が終わったあたりでニュースになって、その時は「大変なんだなぁ」と軽くしか思わなかった。しっかり意識し始めたのは2月末だった。学校の期末テストの時期。正直、あまり勉強をしていなくピンチだった私。そこにあるビッグニュースが入ってくる。
もしかしたら、学校が休みになるかもしれない。
北海道知事が学校を休みにしようとしているらしい。ニュースで大変ですねぇだの、かわいそうだの私たちは言われていた。実際、私たちの反応はどうだったのか。
みんな、大喜びだった。テスト初日(期末テストは9教科あるため2日に分けて行われる)は残念ながら行われた。ある人(真面目な友達)は気を抜かないように明日のテスト勉強をしていたが、クラスの半分ぐらい(私含め)は今日だけであることを願って明日分の勉強をしていなかった。帰りの会、先生が「明日は学校があるかわかりません」と言ったとき、クラスの雰囲気は一気に明るくなった。テストからの解放感だろう。教室を出るときはみんなソワソワしていた。きっと全員が同じことを考えていただろう。私は、すぐに家に帰ってテレビを見た。会見が待ち遠しかった。勝負の時。ドキドキしていた。誰も戦ってないけど。そして会見が始まった。
嬉しかった。心の底から嬉しかった。勝ったのだ。私は。
机の上に置いていた歴史の教科書を片付けた。母は気を抜くなと言ったが、これで気を抜かない人はほとんどいないだろう。全国より早く始まった臨時休校。天国だった。この時は。この時までは。
アイツが連れ去った。
ここから、少しずつアイツへの感情が変わっていった。
臨時休校が長引く。最初は嬉しかった。でも、よく考えると喜べることなんかじゃなかった。
待て待て。学校に行けないってことは黒板アートどうなっちゃうの?あれデザインしたの私だよ?すごい傑作だよ?なのに、何もできないの?
部活動。私は美術部に所属していて、卒業式に先輩へ向けた黒板アートを描く予定だった。私がデザインして、それを部員みんなで描く。自分にしてはすごくできたデザインで楽しみで仕方なかった。もちろん、先輩にはサプライズだった。
結局、何もできなかった。描くだけじゃなく卒業式にも出席できず、先輩を見送ることすらできなかった。あれ?最後に先輩にあったのはいつだろう。廊下ですれ違ったときだろうか。何も話してない。それが先輩との別れになってしまった。あのとき「卒業おめでとうございます」と言えていたら、「ありがとうございました」と言えていたら、何か変わっていたかもしれない。こんなに悔やむことはなかったかもしれない。せめて挨拶だけでもしておけば。どれだけ考えても、先輩には伝えられなかった。
ここから、悲しいことが続く。
好きなアーティストのライブやイベントが延期、中止となっていった。(結局全部中止になった。)北海道の田舎に住んでいる私にとっては行くことができないし、関係ないと言えば関係ない。だけど、画面の中で「悔しい」と強く放っている彼らを見ると、辛くてしょうがなかった。「いつかは会える」と明るく振舞おうとしている彼らを見ると苦しくてしょうがなかった。
こうして時は過ぎ、新入生の顔を見ることなく私は中学の最高学年になった。4月の半ばごろに学校が再開した。連絡も取れず(私がスマホを持ってないため、一方的に音信不通になっていた)、分散登校でも会えなかった友達に会ったとき、自然と笑顔になっていた。でも、マスクで隠れて口元は見せることも、見ることもできなかった。
そんな時間もつかの間だった。一週間あっただろうか。また、学校は休みになってしまった。
アイツが変えた。
ここから、長い休みとなる。早めの夏休み、夏休みなんかよりずっと長かったけど、捉え方はそんな感じだった。(北海道の夏休みは2週間くらい。冬休みは長い)
ここで、私の体に変化が起こる。
笑いのツボが浅くなったのだ。ストレスフリーだったのだろうか。それとも笑うことがなさすぎて、頭がおかしくなったのだろうか。今だにわからない。どんなにつまらないことでもなぜか笑ってしまうのだ。一度だけ近所の祖父母の家にお邪魔したとき、よく笑うようになったことに逆に心配されたほどだった。
ここで兄がそのことに気づく。そしてその日からあることを仕掛けてくるようになったのだ。一発芸だ。今考えれば本当につまらないし、くだらない。でも、なぜか笑いが止まらない。毎日何度も何度も部屋に現れ、一発芸をして帰っていく兄。この期間中は芸人になれるんじゃないかと本気で思ってたらしい。私が母に注意されてるときに見えないように一発芸をしてきたことがある。もちろん笑ってしまった。そして怒られた。それは今でも許さない。
もちろん太った。5キロくらいだったはず。ただでさえ通学以外に運動をしていなかった子供が、家に引きこもり3食しっかり食べれば普通に太る。
今は2つとも元に戻った。本当に良かった。
他にもいろいろなことが変わった。
ギターが上手くなった。休校期間中、やることがなさすぎて元からたまに触っていたギターをしっかり練習し始めた。Amazonで買った安い初心者ギターを使っていたが、貯めたお小遣いで新しいギターを買った。Fコードなどバレーコードと呼ばれる難しいコードもなんとかできるようになった。まだ人に見せれるようなものじゃないが、自分では満足できるほどまで上達した。
自分のことを考えられる時間ができた。なんとなくしていることや、進路など、ゆっくり見つめ直すことができた。
世界が広がった。好きな人が好きなものに繋がって、また違うものに繋がって、人に繋がって。視野が広くなったし、考え方も変わった。
アイツは世界を変えていた時、私自身も変えられていた。良い意味でも、悪い意味でも変えられたのだ。
アイツが日常。
アイツは私たちの日常になった。やっと6月にしっかり学校が再開した。3密を避ける、マスクをする、給食中は前を向いて話さない、学校集会は学年ごと・体育館で距離を置いてする、たくさんの新しいルールができた。でも、みんなと会って、話して、笑うことが幸せだった。それだけで良かった。授業も話し合うことをしない条件で始まった。2か月の遅れを取り戻すために毎日6時間(これは今も続いてる)。へとへとに疲れて家に帰る。でも、楽しかった。
部活の引退が8月までになってしまった。3年生になって2か月しか部活ができなかった。それでも、後輩は引退の日に色紙をプレゼントしてくれた。泣いてくれた。
体育祭が中止になった。修学旅行も日程も場所も全部変わってしまった。学校祭は規模が縮小された。でも、学校にいれるだけで良かった。
でも、あなたに伝えたいことがある。
だからと言って、私は悔しくないわけじゃない。苦しくないわけじゃない。
大人は「しょうがない」と言って全部納得させた。そうすることで自分が傷つかないようにした。誰も悪くないことにした。
でも、「しょうがない」って言いあいながら、私たちはみんな傷ついている。思い出をなくされた。青春を奪われた。悔しい。本当だったらできたこと、何もできなくなった。でも、傷ついているのは自分だけじゃないことをわかっているから、口にしないんだ。自分が大人より無力であるのをわかっているから、言わないんだ。
「しょうがない」の、たった一言ですべてが済んでしまう世界になった。
一言で世界が丸くなった。
「しょうがない」かもしれない。今はそうかもしれない。でも、今日も、明日も、一言なんかじゃ表せる日じゃない。私たちの青春を一言で表したくない。
こんなワガママを言ってしまう私はバカかもしれない。でも、アイツに一言言いたい。
コロナのバカ野郎!青春奪いやがって!だからな、私たちはお前なんかに負けない青春送ってやるんだ!今を精いっぱい楽しんでやる!
だから、私たちを「かわいそう」と言わないでほしい。今を生きているんだ。楽しもうとしているんだ。だから、そんなこと、言わないで。
アイツとあなたとわたし
今もアイツは世界を変え続けている。もう日常化しているアイツの存在を許しているわけなんかじゃない。
もし、あなたの近くに私と同じような学生がいるなら、子供がいるなら、考えてほしい。その笑顔の中に何があるのか。本当の気持ちを気付いてあげてほしい。
感情は口にしないと相手に伝わらない。楽しいときは楽しいと言う。でも、悲しいとき、苦しいとき、言葉にすることはすごく難しい。笑っているから大丈夫。そんなことない。特に私たち中学生や高校生は負の感情を言葉にすることをカッコ悪いと思っていることが多い。情けないと思っていることが多い。
「しょうがない」
この一言がいつか、「大丈夫」に変わるといいな。
KaiTO