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忘れてしまったあの日の私へ。

15歳の私には10年が長いのか、短いのかすらわからない。

でも、とても遅く、とても早い時間だったことは、わかっていたい。


5歳だった。幼稚園の年中さん。まだひらがなも書けない、幼稚園児。

あの日は、家で友達と遊んでいた。

という事実しか、私はわからない。

私は、あの日見たものを覚えていない。

リアルタイムで何が起こっていたのか。どれだけ大きなものだったのか。どう助け合っていたのか。どう立ち上がっていったのか。

あの日の笑顔も。あの日の恐怖も。あの日の憎さも。

私は、知らない。

私たちは、知らない。


「東日本大震災」は、歴史として、災害として、教科書に載っている。

大きくは取り上げられない。見開き2ページで、あの日から~が終わる。50分の授業で、あの日が終わる。チャイムが鳴ると、何事もなかったかのように教室から出ていく友達。話題はtiktokだった。

正直、これがこれから恐れられる事実なのだろう。

先生は言った。

「教科書にはね、2011年に東日本大震災って載ってるけどさ。まだ、終わってないからね

はっとした。

あの日のことは知らない。でも、終わってない。

小さかったとき、親は悲惨なニュースの映像から避けてさせてくれていたかもしれない。

でも、今は違う。

調べようと思えば、調べられる。知ろうと思えば、知れる。

なのに、何度ニュースよりYouTubeを取っただろう。

何度テレビのチャンネルをドラマやバラエティーに変えただろう。

ただ、私たちはあの日から10年も、目を逸らし続けていたんだ。


10年。

家に帰って動画を見る。

恐怖。悲しみ。憎しみ。助からないとわかっている車を目で追い、2度と見ることができないあの以前の美しい街と海の姿を想う。

泥まみれのランドセル。何もなくなってしまっている家の跡。泣き崩れる女性。母を探す少年。

何も知らない自分が悔しかった。

覚えてない自分が、嫌になった。

この時、私はどうしていたんだろう。家族と家でカレーを食べて、あの子と鬼ごっこして、大好きな先生とお別れして、大好きになる先生と出逢う。

私の家からは、海と街全体が見える。

もし、この街が。

5歳。忘れるのはしょうがないことかもしれない。でも、忘れてはいけない日を、あの日を生きていながら忘れてしまっている自分が憎い。

15歳。あの日の恐怖と、あの日からの笑顔を知る。全国の人が助け合い、世界中の人が励まし合い、みんなで支え合う姿を知る。

お風呂に入るおじいさん。遊びまわる子ども。新しい家に戻る家族。

ちょっとだけ、笑顔になれた。

笑顔にしたいと、想った。


もう逃げないぞと、今日もテレビを睨みつけてやった。

知らないから、知らなければいけない。

伝え続けなければいけない。いけないというか、そうしたい。

だから私は、

記憶にないあの日のことを、ここに書く。

                               KaiTO

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