# 他人本意で生きてきた。
気がつけば、”周りの人が求めていることってなんだろう”、と考えるような、そんな自分だった。
常に周囲に気を配って、"あ、この人○○したら喜ぶだろうな"と推測し、行動に起こす。予想通り喜んでくれることが自分の喜びだった。
だから、"あなたがやりたいことは何ですか?" と聞かれたときに、いつも戸惑ってしまう自分がいる。
”周囲の人間のやりたいことが私のやりたいことです!”、”いやそうじゃなくて、あなた自身がやりたいことは何ですか?” こんな空中戦を繰り返す日々が続いた。
自分がやりたいことってなんだったんだろう、そんなことばかり考えている。進学してからはその自問自答ばかりである。きっと他の皆さんは、自分がやりたいことを尖らせ続けた結果、自分と同じ場所にいるでしょうから、そういった意味では僕は全く思考が追い付いていない。
別に周囲と比較して遅れていることについては何とも思わない。いつだって不器用で他人より遠回りして何かを学習してきた自分だ。でも時間をかけた分その深さ/熱意には誰よりも負けない自信はある。
とはいえ、それは仮の自分。”自分がやりたいこと”、と言い続けている自分の裏には、いつだってネガティブで悲観的な自分がそこにいる。他人本意のモチベーションがないと何も続かない。
これまでは、大勢の”他人”に囲まれて生きてきた。そこにはいつだって仲がいい仲間がいて、みんな同じ環境/境遇を持っていた。
そしてそれが徐々に自分と違う環境に飛び立ち、ついに自分だけになった。自分一人、というにはあまりに極端ではあるが、でも自分と同じ環境を共有できる人が少ないことは間違いない。
そして異なる環境に立って他の人とは違うことをやっていることに満足感を感じるはずが、どことなく焦燥感/寂寥感を憶える自分がここにいる。
対外的な自分と本質的な自分があまりにも乖離していて、もはや晒すことすら恥ずかしい。
かまちょだから構ってもらえない環境に寂しさを感じている、ってそれだけの話っちゃあそれだけの話。
でもきっと、この環境は変わらない。というより変わっていかなくてはいけない。
みんな同じでは生きていけない、そういう時代になってきていることは間違いない。
自分が力を発揮できる場所はここ、と決めて最大限バリューを発揮する。もちろんみんな違ってみんないい。そんな時代になっていくはずなんだ。
今は圧倒的少数派に心が折れそうになっているだけだけど、きっと時代が解決してくれるし、この時間を感謝する日はきっとくる。
もっと自分と向き合おう。自分が納得できる生き方がどんなことなのか、決められるのは自分だけ。