心の角質
元々のパーソナリティを変えないで人と接する機会が年々貴重になっていく。
そんな機会に恵まれると、まるで適正な車間距離のような心地よさでそれぞれを走らせていく爽快さすら感じることがある。
でも本来の喋り方や笑い方を忘れてしまっていて、しばらくはぎこちない表情になってしまう。それでも、ゆっくりと自分を思い出すための過程を踏みながら本来の姿を取り戻していく。
それは何人かの親しい友人と会っている時だけとは限らない。
学生時代の思い出が凝縮された街を散歩したり、好きな監督の作品が上映される映画館の席、気さくな店主と話すのを楽しみにくぐる暖簾、ようやく手に入れたお気に入りの文庫本に接する時、心にかかった二重ロックの鍵は気づかぬうちに開錠している。
そんな時間を積極的に取ることが心の栄養補給なのだと、時折流される通勤ラッシュで思うのだ。
逆らいようのない時の中で、大人になる楽しみと不安に苛まれながら生きていた。それはこれからも変わらないだろう。
そして、少し高いところから今後歩むであろう道の先を、見てしまっては味気ない旅路になると思っていても結局は気になって見てしまう自分も知っている。
頭で書いたコードはひとまずどこかに置いて、太陽の光に目を瞑ったり夜風を感じながら月を見上げマイペースに歩くことが、人生の道のりを進む上では何よりの贅沢なのかもしれない。
そして、そうやって過ごす時間こそが本来の僕自身を思い出させてくれる。
それはまるで、肌の表面から角質のようなものがポロポロとこぼれ落ちていく感覚に似ている。肌と同じように、心もいつまでもハリのある状態にしておきたいものだ。
口下手だけど文章が好きな僕にとって、物を書くことも心の角質を取り除く方法に分類されるのもしれない。
フィクションではなく本音を書くことになるエッセイは、自分の現在地を確かめる作業でもある。普段は見過ごしてしまう些細な発見や心の機微を形に残すのは、今まで歩いてきた道のりに印をつけていく感じか。
月に1度ではあるが、エッセイ集であるうみいろNOTEを始めて今日で丸1年。
自然の風を感じながら、時には心にたまった角質を取り除きながら歩んでいきたらいい。そんな道程を、今は密かに楽しみにしておきたいと思う。
皆さんから大事な大事なサポートをいただけた日にゃ、夜通し踊り狂ってしまいます🕺(冗談です。大切に文筆業に活かしたいと思います)