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魔女裁判 #4「誰が人を裁くのか」
僕たちは、何も言わずに部屋を後にした。次に進むべき道は、もう決まっている。
アフメット・カヤと生前接していた人物と会うために、まずは彼の過去を掘り下げることにした。クルド人迫害の首謀者としての顔だけでなく、その裏に隠された本当の意図を理解しなければ、真実にはたどり着けない。
「カヤと密接に関わりを持っていた人物って?」僕は静かに尋ねてみる。
「彼の家か、彼が最後に出入りしていた場所に行けばわかる可能性は高いだろうな」
梶原氏が短く答えた。僕たちはケマルと接触した数時間後、とあるビアバーで梶原氏と合流し、情報交換をしている最中だ。これまであったことを端的に伝えると、「さすがだ。行動が早い」と彼は僕たちを褒め称えてくれた。
「だが、どこも簡単には行けない場所ばかりだ。ましてや、カヤのような大物政治家が持っていた情報を知る者はごく一部に限られる」
「ですよね。どうしたものか」才奨が腕を組んだ。
すると、梶原氏は手元のジョッキをくいっと煽り、僕たちを見た。
「ここまで君たちが真相に近づいてくれたんだ。ワシだって一肌脱ぐよ。少し時間をくれないか?」
その数日後。宿泊するホテル近くの喫茶店で相棒と事件の経緯を整理していた時、梶原氏から着信があった。
氏曰く、カヤには生前頻繁に連絡を取っていた二人の人物がいたようで、そのうちの一人がカヤの元上長、メフメット・アルパイだった。表舞台からはすでに引退していたものの、どうやら裏では未だに巨大な影響力を持つ存在だという。
「メフメット・アルパイ……」才奨がその名前を呟きながら、地図を広げた。
「確かコイツ、トルコ東部の経済を牛耳っていたって話があるな。クルド人との戦争が激化していた時期に、どっちつかずの立場で利益を得ていたはずだ」
僕は、梶原氏が電話の後に送ってくれたアルパイに関する情報をかいつまんでいく。
「政治家だけじゃなく、軍人、企業家、さらにはヤクザまがいの連中とも付き合いがあるようだぞ。もしかしたら何かしらの事情があって、アルパイがカヤを殺した線もあるな」
そういうと才奨は不敵な笑みを浮かべた。
「危険な場所にこそ、真実が宿る。今までの事件でもそうだっただろ?」
「また無茶なことを考えてるんじゃないだろうな」僕は警戒して言った。
「心配するな。これくらい、ちょっとした手間だよ」
そうして、才奨はさっきから操作していたスマートフォンの画面を見せてきた。それはアルパイが関与しているという慈善団体主催のイベント案内ページだった。
「アルパイが今、一番力を入れている団体がこれなんだ。これ見てみろ。開催日がちょうど明後日」
ケマルの件がつい数日前だというのに。すでに動悸が始まってしまった僕の心臓をよそに、相棒の目は見るからに今か今かと当日を待ち侘びている様子。
そして、その目がこちらを見る。僕は覚悟を決め、頷くほかなかった。
二十時から始まったそのイベントは、エーゲ海に停泊する豪華客船の上で行われるという。アルパイはもちろん、彼の取り巻きや政治家、経済界の重鎮たちが集まる豪華なパーティーだ。
「船の上とは、また随分と豪勢なものだ」
才奨は気軽に言った。その服装はしっかりとスーツで決めている。僕もそれに合わせインフォーマルな装いで臨んでいた。
会場に入ると、きらびやかなシャンデリアの下で色鮮やかなドレスを身にまとった女性たちと、豪華なスーツを着た紳士たちが談笑している。だが空気は華々しくも、どこか空虚な感じも漂っていた。こうした場に疎い僕ですら、ここに集まった人々のほとんどが見栄や利益のために集まっていることを察してしまう。
「おい、見てみろ」
才奨が指差すので、僕はその方向に目を向けた。梶原氏から提供されたアルパイの顔写真。まさにアルパイ本人が、中央のステージ付近にいる腹の出た男性だと認識する。まるで巨大な帝国の王のような風格。周囲の人々が彼の周りに集まり、歓談している。
「すぐには接近できそうにない」僕は言う。
周囲には屈強なボディガードが複数人おり、ケマルの時のように正面切って向かったら最悪つまみだされるのがオチだろう。
その時、アルパイが周囲の人々に向かって手を振り、マイクを握り話し始めた。
「紳士淑女の皆様。ご機嫌いかがですか。今晩はお集まりいただきありがとうございます。今宵のイベントは皆様あっての開催です。大いにお楽しみください」
そうして彼はマイクを置いて周囲の人間たちに向かって何か言った後、一人壇上から離れた。僕たちはその瞬間を見逃さずに、彼の方に歩み寄る。仮面の笑顔を張りつけた人々をかいくぐり、僕たちは何とか彼の眼前に躍り出た。
「失礼します」才奨が自信満々にアルパイに声をかけた。
「おお、君たちは……?」
アルパイは僕たちの顔をじっと見つめ、少し驚いたような表情を見せた。だが、すぐに微笑みを浮かべて手を差し出してきた。
「こちらこそ、お会いできて光栄です」才奨はその手をしっかりと握り返す。
「実は俺たち、アフメット・カヤ先生の大ファンでして。その元上長であられるアルパイさんにお会いすることができ嬉しい限りです」
その言葉の直後、アルパイはすぐさま手を引っ込めた。
「貴様ら、何者だ」
アルパイの声に、これまでの穏やかな調子が消え去り、強い警戒心が漂った。
「ただの名もなき探偵ですよ」才奨がにこやかに続けた。
あくまで無邪気な笑顔を浮かべているが、その目は完全にアルパイを見据えている。
「非常に勇敢な元高官で将来を嘱望された政治家、カヤ先生が命を落とされた件について、少しばかり興味があってね」
アルパイの顔色が一瞬で変わった。彼は後ろを振り返ったが、ボディガードの姿は無心で踊る人々に埋もれて、その姿を見ることすら叶わない。
「彼が未だメディアに出続けて国民からあたかも生きているように見られる中、その死を知るあなたたちは……」
「何も知らない方がいい。気安く首を突っ込むな。身を滅ぼすことになる」
才奨が流暢に続けているのを遮って、アルパイは冷たい声を響かせた。
その言葉には明らかな警告が込められていたが、才奨は動じることなく、むしろ挑戦的な笑みを浮かべている。
「何も知らない? いや、俺たちはすでに知っている」才奨が言った。
「カヤが持っていた情報。それがあなたにとってどれほど危険なものか、俺たちも十分理解している」
ついに出た! 僕は思わず心のうちでそう叫んだ。それはまさに才奨のハッタリだった。相手を霍乱するにはいい手だが、もしそれがバレると、以降相手は心を完全に閉ざしてしまう。諸刃の剣ともいえる対人調査の手法だが、何が何でも重要な情報を得るしかない僕たちにとって、それは避けては通れぬ道だったのだ。
「やめろ」アルパイが力強く言った。その声には、怒りを抑えきれない感情が見え隠れしている。
僕は一歩下がり、じっとそのやり取りを見守っていた。才奨が一歩も引かないのはわかっていたが、アルパイが本当に恐れるべき人物であることも感じ取っていた。彼の反応からは、カヤの死に何か重大な理由が隠されていることが明確に伝わってきた。
「カヤはあなたが隠したくて仕方のない、ある事実を握っていた」才奨が冷静に続けた。
その瞬間、アルパイの表情が完全に変わった。冷徹さが増し、目の前にいる僕たちをまるで消し去りたいかのような視線を向けてきた。
「実に愚かだ」アルパイが低く言った。
しかし、才奨はそれに怯むことなく、むしろ一歩前に出た。
「真実は必ず暴かれる。あなたの隠したいことも、いずれ明るみに出る。愚かなのはどちらだ?」才奨は言い切った。
「貴様らがどこまで知っているかはわからないが、最後に警告しておく。もし、これ以上踏み込むなら、君たちはただでは済まされない」
その一言で、周囲の空気が一気に変わった。まるで時が止まったかのように、客船の中の全員が静まり返った。
なんだ、これ? もしかして、ここにいる全員、エキストラだったということか? 僕は背筋がピンと伸びるのを感じる。
やがて、音ひとつ立たなくなった空間で、徐々に近づいてくる屈強なボディーガードたちがおもむろに拳銃を取り出して、銃口を僕たちに突きつけた。
「残念だったな。貴様らがここにくることは織り込み済みだったんだよ」
僕はすかさず才奨の耳元で囁いた。
「さすがにマズくないか」
それでも、相棒は口元を少し緩めるだけだった。僕は何か策があると信じて、その先の展開に身を預けることしかできない。
「あなたお得意の、『都合が悪くなれば消せばいい』。そういうことか」
才奨が相手を挑発することで、事態は一層緊迫していく。こうしている間にも、じりじりとその距離を詰められている。どう打開すればいいのだ。
その銃口が僕たちの顔にあと数センチと迫ったところで、才奨がその場を静かに支配しているような雰囲気を作り出しながら言った。
「覚えておけ。カヤを始末したことがあなたの運のツキだったことを」
その瞬間、その話を聞いていた梶原氏一行の警察が彼らを取り囲んだ。
「手を上げろ。警察だ」
この空間にいる紳士淑女の中に私服警官が二〇人ほど潜んでいたのだ。あわや発砲騒ぎになるかと思われたが。梶原氏たちはすでにボディガードたちの背後におり、戦況は明白だった。彼らはすぐさま拳銃を床に置き、手を頭の後ろに回した。
その一瞬の出来事に、アルパイはしばらく黙って僕たちを見つめていた。そして、ゆっくりと目を閉じた。
「梶原さんに連絡しておいてよかったよ。今回ばかりはケマルの時みたいに無傷で帰ってこられる予感がしなかったんだ」
ようやく才奨は僕の問いに答えた。こういう危機察知能力があるのなら、もう少し手前で発揮してもらいたいものでもあるのだが。
「わかった」
その横で、アルパイは口を開いた。その声には、かすかに投げやりな響きがあった。
「カヤは高官時代から、ある極秘の取引をしていた。その取引は貴様らの想像を優に超えるものだ。止められると思うな」
アルパイはそう話し始めたが、どこか冷徹で、真実を暴かれまいとする姿勢が未だ見え隠れしている。
「あの取引には、トルコ政府の高官、軍、そして一部の民間企業が絡んでいた。それは、クルド人問題に関する汚い金の流れだ。クルド人を完全に迫害するための、そして戦争を引き起こすための密約ともいえる」
その瞬間、僕の中で何かが弾けたような気がした。カヤは自らのクリーンなイメージを得ようとしながら、結局はクルド人迫害に関わり続けた。そういうことだった。
「お前のような男が、それを隠していたということだな」
才奨ははっきりとアルパイを問い詰めた。
アルパイの目が一瞬だけ揺れたが、その後は再び冷徹な表情を取り戻していった。
「カヤこそ、世界で最も愚かな男だ。何千、何万ものクルド人を痛めつけることができたのは私あってのことなのに。クルド人っていうのは、治安を悪くするだけの程度の低い民族なんだよ。私たちの愛する国をこれ以上汚すわけにはいかない。カヤとはそうした話をしながら協力してきたのに、ある時アイツは高官時代の手柄を横取りして政治家に転身したんだ。冗談じゃない!」
アルパイはテーブルの上に置いてあったワイングラスを蹴飛ばした。しかし、その様は何人もの警察官に囲まれているとは思えないほど落ち着いた所作のようにも映った。
「貴様ら、祖国はどこだ」
アルパイは急に穏やかな声でそう言った。
「日本だ。それがどうした」才奨は冷たく突き放すような口調を崩さない。
「だったらわかるだろ。貴様らの国でも昨今問題になっている、クルド人の素行の悪さを。私はこの国の高官だった男だ。そんな奴らを許すことなどできない」
「だからといって、迫害していいとはならない。俺たちには法律がある。悪さをしたなら、それで裁くのが常だろ」
「法律が何の役に立つ? 歴史を見ろ。それらが争いすべてを止めることができたか? 法律は完璧な存在だと胸を張って言えるのか!」
その語気の強さは人間のものとは思えないほどの迫力を帯びていた。国を思っての行動だ。そういった信念すら感じさせた。
「手柄を横取りした行為を裁く法律など存在しない。だから、お前がのたまう『祖国を守るために尽力した部下』すらも殺したというのか?」才奨は毅然と尋ねる。
「そうだ。当たり前だろ? 私はアイツの上司だぞ!」
才奨は大きなため息をついた。もう話しても意味がない。そんな様子にも見えた。
「こうやって、犠牲は延々と犠牲を生み続ける。実に下らない」
僕は気づいたらそんなことを口走っていた。交渉ごとは才奨のテリトリーなのだから口を挟まないと決めていたけど、我慢ならずにそう言ってしまっていた。
「なんだと?」
僕は初めてまともにアルパイと目が合う。その血走った眼は、その眼圧だけで人を殺めてしまいそうな恐ろしいものだった。
しかし、僕は言わざるを得なかった。お前には被害者の気持ちを慮る能力がある。鷹見先生がそう言ってくれたのを頭の片隅で思い出しながら。
「あなたたちはクルド人全員を悪者にして、自分たちのしたいことをしただけだ。愛国心を免罪符に、この国に住む多くのクルド人を魔女裁判にかけた。無差別殺人と何ら変わらない、極悪非道な行為そのものだ!」
そこまでだ。梶原氏一行はいたたまれないといった様子で僕たちの間に入り、アルパイと周囲のボディガードたちに手錠をかけた。その場は一時騒然となったが、一通り船から出る準備ができると、アルパイは最後に捨て台詞を吐いた。
「私たちのほかにも仲間はまだいる。せいぜい気をつけるんだな」
その言葉を最後に、アルパイは何も言わず、警察に連行された。僕たちの前に残り続けたのは、彼の言葉が持つ嫌な重みだけだった。
◆
その夜、宿泊しているホテルの部屋で才奨と二人きりになった時、僕はふと思い出した。
「アルパイの最後の言葉、引っかからないか?」
才奨はゆっくりと頷く。「まだ仲間がいる。奴の言葉が本当なら、カヤ暗殺には共犯者がいるってことになるな」
その言葉に頷いた時、着信があった。情報屋のリリーだ。
「梶原から聞いたが、アルパイを捕まえたみたいだな」
閉店後なのか、その口ぶりには疲れが滲んでいる。今日も店は盛況だったらしいな、という問いかけはほとんどスルーされたが、その代わり有用な情報を提供してくれた。
「ケマルの件は情報が古くて悪かった。その罪滅ぼしに、今回は自信のある内容を教えよう。アルパイと一緒にカヤを死に追いやった仲間のことだ」
「イブラヒム・カラマン」
僕はリリーから教えてもらった名前をそのまま呟いた。才奨が新たな名前が出たことに気づき、こちらを見ている。
「お前たちが追っている放火事件、実は放火されたのはカラマンの息がかかった者の別宅だ。その所有者に事前に許可を得て、あえてカラマン自身が指示をして火を放ったんだよ」
どういうこと? 僕は問わずにはいられなかった。
「恐らくは迫害に関する問題を人々に見せつけるためだろう。カヤ亡き後、その意志を継ぐカラマン自身、この問題に関して深くかかわっているに違いない」
「自作自演をしてまで、どうして?」
「悪いが、私がわかるのはここまでだ。あとは自分たちで確かめてみるんだね。ただ、カラマンから始まった一連の闇深き事件、恐らくカラマン自身がすべての真実を握っている」
「その確度は?」
言葉短めに問う。しかし、僕は真剣そのものだった。
「さあ。長年の情報屋の勘さ」
おいおい。そう漏らすと、リリーはそれでも強気に言った。
「見くびるな。私の勘は必ず当たるんだよ。どんなに確実な情報よりもね」
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