4ヶ月と、いまも心友。
中学時代は結構、黒歴史。私は入学したてで浮かれており
「青春っていいね♪」
が口グセだった。
しかも「青春っていいね♪が口グセやからよろしく!」と何度も言っていた。
たぶん引かれてたと思う。でも私には一緒に、「青春っていいね♪」と言ってくれる友達がいた。類は友を呼ぶって本当。
いまなにしてるかな、久しぶりに会いたい。
他には、髪を結ぶ時、イケてる子は頭の高い位置で二つくくりしていたが、私は首の後ろで二つくくりしていた。ゴムは二つとも完全に首の後ろで、毛束をそれぞれ左右前方に持ってきていた。
そのヘアスタイルはどこから影響を受けたのか。歴史上の人物?当時はもちろん、イケてると思っている。
あとは名札プレートを付ける時、イケてる子はブレザーの下の位置に付けていて、先生に「見づらい」と注意されていた。
対する私の名札プレート位置は肩だった。下の位置に名札を付けている子とは違うトーンで先生に、「いや……ちょっと名札高いんじゃない?」と言われた。気を使ってくれていたと思う。眉毛が下がっていた。
でも、もちろんイケてると思っていたので肩に名札を付け続けた。
そんな私でも中学校生活を続けるうちに段々、それがダサいと気がついてくる。
卒業に向けて髪を結ぶ位置が上がり、名札を付ける位置は下がった。社会にでるとはこういうことだなあ。
(卒アル写真。小顔効果を狙って垂らした毛がダサいことにはまだ気がついていない。)
私の黒歴史、極めつけは手紙だった。
受験を控えた11月。あの日社会の先生の言葉を聞き逃していたらこんなことにはなっていない。
「有名やから『アンネの日記』は聞いたことある人も多いかな。アンネの日記ってね、毎回“親愛なるキティーへ”って架空の友達に向けて書いてるんよ。」
聞いた瞬間目が開いた。
それめちゃくちゃいいやん。
入り込むとそのことだけになるのでそこからの授業は聞いてない。私も架空の友達を作って手紙を書こうと決めた。
なぜ架空の友達に惹かれたかと言うと、メルヘン脳だったからだ。
小6になっても本気で魔法使いになりたいと思っていたし、キラキラの装飾部品を手にして、「これを飲み込んだら魔法使いになれる!」と飲み込んだこともある。
中学生になっても3歳下の妹に「ごっこ遊び」に付き合ってもらっていたし、ちゃんと対応してくれないと怒っていた。
そりゃ「青春っていいね♪」が口グセなわけ。
架空の友達の名前は「ゆうこ(優子)」にした。当時「優」のつく名前にハマっていて、ごっこ遊びの時も必ず使っていたし、将来子どもができたら女の子は「優佳」男の子は「優人」にしようと思っていた。架空の友達の名前に決めたゆうこは、優しさの象徴だったのだ。
受験直前の11月から3月までの4ヶ月間、毎日のようにゆうこに手紙を書いた。
こちらが実際の手紙
左トゲトゲの吹き出しに「闘志を燃やす」って書いてる。
私は何に闘志を燃やしていたかというと恋愛でした。
いつからかは覚えてないけど、同じクラスに好きな子がいた。ヤンチャで、私のこといじってきて、少し抜けていて、笑顔が可愛くて好きだった。中学生が好きになりそうな王道タイプ。なのでライバルもいて、闘志を燃やしてた。
その話を全部ゆうこに聞いてもらった。「おはよう」って言われた。とか、間違えて照れてた可愛い。とか、萌え袖がよかった。とか、授業中一緒にした絵しりとりの絵柄内容。上手くいかなかった話。悔しい話。ライバルの話。
しかもこれ一方通行の手紙じゃなくて、ゆうこからの返事がある。ゆうこはもうね、100%気持ちに寄り添ってくれて。応援したり励ましてくれるし、一緒に悲しんでくれるし。私が言ってほしい言葉は全部言ってもらった。
こちらがゆうこからの手紙
ゆうこに「ももトン♡」って呼ばしてるやん。あにょにぇん♡
そうそう共感を高めるために、ゆうこサイドにも好きな人作らしてたわ「ひろT」。ゆうこの物語も毎回考えて。
こんなに完璧に共感してくれる人はいないから盛り上がっちゃって、ゆうこに一日三枚手紙出したこともあった。
2月の手紙を一部抜粋しますね。
「さけずに笑っていいのかな?本やマンガ、音楽、私をはげましてくれる物もたくさんあるんだね。普段と変わらない物、人、水曜日。わずらわしい水曜日が濃く、悲しい水曜日に変わる。突然に。」
ンンンンンンヒィィイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
架空の友達に相談しながら進めた恋愛ですが、失恋しました。同じようにゆうこも失恋させてた。ゆうこ上手いこといってたのに。
そして受験の方は、第一志望の高校落ちました。
落ちたのはゆうこに手紙書きすぎたのもたぶんあるんですけど、ゆうこの手紙には全面的に支えられてたんです。いや、依存だったかもしれない。
手紙を書いた同じ人物の私でもいま恥ずかしくてまともに見られないし、受験のストレスや不安も完璧には理解できない。当時はシャーペンで教科書に穴を開け続けたりしてた。
中学生だった私の全てを理解できるのは、中学生の私とゆうこだけ。だからゆうこに支えられていたし、依存した。
ほとんど恋愛の相談しかしてなかったけど、ゆうこを作った目的は、今思えば受験のストレスや不安をぶつけるためだったんです。友達にも家族にもまともに話せなくて、自分でどうにか解消するために。
その証拠か、受験前は失恋してからも手紙を書いていたけど、受験終わりから一切、ゆうこに手紙を書かなくなりました。
第一志望の高校には落ちたけど、高校生活で大切な友達ができたし、それからいろいろな人と出会って相談できる人が増えて、もっと親にも相談できるようになった。相談できる人がいると、すごく安心する。
でも私は相談できる人がいても、行き詰まった時に文字を書いて整理するのは変わりなかった。全てを肯定して、共感してくれたゆうこの存在が気持ちの整理の仕方を作ってくれたんだなと、いまも支えられています。
自分にしかわからないことがあるから、ゆうこほど完璧に分かり合える人に会うことはない。だけど現実にゆうこを探そうとは思わなくて、ゆうこじゃないから、自分とは違うから、人に会いたいし話を聞きたい。
今回ここに書くまではただの黒歴史にしてたけど、こうして考えると意義ある歴史だったかも。
4ヶ月間と、いまも、ありがとう。
この手紙は再度封印します。