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無理せず楽しむ


地方で活躍されている人たちは大きなリスクを取らずに小さいことから始めている人が多い。最初はビジネスという言葉にはならないような趣味の延長のような取り組みも、その街やその地域、そのコミュニティの人たちにとっては価値が出てくるのだ。まずは無理をせず、楽しみながら細く長く続けてみよう。


 市原市の牛久商店街でうしくキッチンというシェアキッチンが二〇二二年七月にオープンした。うしくキッチンは房総ローカリストのぽんちゃさんが始めたプロジェクトで、同時に房総の食の魅力を伝える房総おむすびというおむすび屋さんも運営している。なぜ市原市の牛久商店街だったのか、シェアキッチンをはじめてどんな変化があったのか、ぽんちゃさんにお話を伺った。

市原市と牛久商店街との出会い


開宅舎 小深山(以下Kと示す):ぼくがぽんちゃさんを知ったのは房総の発信をしているSNSとブログでした。そのときは市原市で活動はされてなかったと思うので、こうやって市原市で一緒に活動できて嬉しく思います。ぽんちゃさんの出身は新潟県とお聞きしたのですが、どうして房総の発信をしようと思ったんですか?

ぽんちゃさん(以下Pと示す):ずっと都内で働いていたんですが、妻と結婚して千葉県に関わるようになりました。それから月〜金は都内で働いて、週末に房総に癒される生活をしていたんです。房総のいろんなところにドライブに行っていたのですが、ほんとに美味しいものがたくさんあるんだなって感じていました。いつか都内ではなく房総で仕事をしたいなと夢を見ていたんですよ。

K:そうだったんですね。

P:平日都内、休日に房総、という生活をしていたんですが、新型コロナウイルスが流行り出して、半年くらい房総に行けない時期があったんです。ぼくは本当に房総が好きだったので、何かできることないかなって思って始めたのが、房総の発信でした。直接行くことはできないけど、発信ならぼくでもできるなと思って。

K:ぼくがぽんちゃさんの発信を見てたときはなかなか房総に来れていなかった時期だったんですね。ぽんちゃさんは市原市が開催していたリノベーションスクールというまちづくりのセミナーに参加して市原市に関わるようになったと聞きました。

P:そうなんです。ぼくが地域活性をしていきたいと言ったら、知り合いがこういうスクールが市原市であるから参加した方がいいよって声をかけてくれたんです。今、五井のシンコープラザで毎月第三日曜日に開催している五井朝市にもリノベーションスクールで関わるようになりました。そのときに、ぽんちゃというキャラクターで房総おむすびを始めたいなと思っていて、そのときリノベーションスクールのローカルユニットマスターだった洋ちゃん(高橋洋介さん)が話を聞いてくれたんです。そこから市原市で活動している人や牛久商店街の人と深く関わるようになりました。

牛久商店街を選んだ理由


K:リノベーションスクールからの繋がりというお話がありましたが、牛久商店街でシェアキッチンを始めようと思った決め手はなんだったんですか?

P:何件か物件は探していたのですが、この商店街にはパブリックマインドが溢れる人がたくさんいるというのが大きかったです。個人個人で取り組んでいることは違うし表現の仕方も違うけれど、緩くつながっているのがとても心地よくて。オーナーさんも積極的なのがいいなと思いました。そして、牛久というエリアは房総の真ん中で、下道を使っても一時間以内で多くの行政区に行けるんですよね。千葉市、内房、外房、いろんな人がシェアキッチンを使う人として、お客さんとしても足を運ぶことができるなと思い、牛久商店街に決めました。うしくキッチンだけでなく、ぼくがやっている房総おむすびのコンセプトにも通じるものがあったというのもあります。実際に、市原市内の北部の人や、隣町の睦沢町の人、都内で活動されている人も出店者として使ってくれているんです。


K:牛久は昔から交通の要所として栄えてきた街なので、その雰囲気が合っていたのかもしれないですね。房総の真ん中に位置していることで、人が来やすい場所になっている。うしくキッチンはリノベーションして今の空間ができあがっていると伺っていますが、大変だったことなどありますか?

P:実は苦労したり大変だったって感じなかったんです。それよりも、楽しかったことや、商店街の人たち、SNSのフォロワーさんなど、たくさんの人に協力していただいたので、感謝がとても大きいです。百キロを超えるガスオーブン冷凍冷蔵庫を搬入したのですが、うしくキッチンのお隣の時田酒屋さんがフォークリフトや台車で運ぶのを手伝ってくださいました。前の伊藤薬局さんや近くの山内石材さんはいつもお弁当を買いに来てくださいますし、物件の契約など間に入ってくれた洋ちゃんや深山文房具さん、ぼくがこの物件を借りる前にここを使っていた原地さんには本当に感謝しています。

この地域と空き家について


K:ぽんちゃさんは商店街の空き物件をリノベーションしてうしくキッチンをはじめましたが、空き家や空き物件についてどのように感じますか?

P:ちょうど先ほど商店街のあるお店に行ったんですけど、もうお店を閉めるってお話をしていたんです。建物も取り壊してしまうらしいんですよね。そこでの生活がなくなると簡単に家ってなくなってしまうんだなと驚きました。大したビジネスボリュームではないんだけれど、無理せずに続けていく小さなビジネスは、空き家や空き物件の活用と密接な関係があるのかなとも感じます 。

K:後継ぎがいない、事業を継続させるための機材を維持させるのが難しい、人が来ない。商店街の課題はたくさんありますよね。

P:実はうしくキッチンの窓冊子は開宅舎さんの空き家から出てきたものを活用させてもらってるんです。扉も空き家から出てきたもので、板を外してガラスを入れました。タイルも養老渓谷のタイル屋さんにお願いして、自分たちで貼ったんです。


K:新しいものを購入したり作ったりしなくても、資源はまわりにありますよね。地方で活躍されている人たちは大きなリスクを取らずに小さいことから始めている人が多い気がします。最初はビジネスという言葉にはならないような趣味の延長のような取り組みも、その街やコミュニティの人たちにとっては価値が出てくる。

P:空き物件活用や家守事業など、自分の事業を起こしつつ、エリアの価値をあげることが大事ということはリノベーションスクールからも学びました。うしくキッチンを通してコミュニティができたり、独り立ちするきっかけとなってくれたりするのが嬉しいなと思っています。それで、牛久商店街にある空き物件を使ってお店を出店する人が出てきたら最高ですよね。

K:まさにうしくキッチンのコンセプトにもあるやりたいの後押しですよね。まさに挑戦の場所です。

P:7月に小湊鉄道さんとコラボしたときにお弁当を百二十食作りました。どうこのプロジェクトに取り組もうかって悩んだんですけど、みんなで協力するしかなかったんですよね。挽肉堂の岩崎さんが中心となって、メニュー開発や料理をしてくれて、包み紙のデザインは洋ちゃんがしてくれて、SNSの発信やプロモーションはぼく、盛り上げたり梱包してくれたのが商店街の人たち。大変だったけど、みんなでスキルを持ち寄ればこれだけの規模のイベントでもやり遂げることができたんです。そのとき、これはうしくキッチンだからできたことで、他のシェアキッチンと差別化できることだと感じました。

K:そんなに多くのお弁当を作るってとても大変ですよね。すごい。


P:都市部のシェアキッチンだと、何時間利用ですね、いくらになります、鍵はこちらになります、みたいな感じが一般的だと思うんですけど、うしくキッチンはそういう場所にはなりたくないんです。ぼくは、洋ちゃんとか、深山文房具さんとか、原地さんとか、そういう人たちの信用を借りてこのうしくキッチンをやらせてもらっているので、自分たちだけが稼げればいいっていう考え方ではなくて、どうすればこの地域の人たちが喜んでくれるのかなっていうのを考えています。事業者じゃなくても、主婦の人が挑戦したい、まだお店は始められないけど試作品を食べてほしい、そういう人たちと同じ目線で一緒にやっていけたらなと思っています。





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