会食恐怖症を克服できない私
なかなか更新できませんでした。 忙しいわけでも何でもないの に。私という奴はnoteも続かないな…とその理由を考えてみたところ、 会食恐怖症になった経緯を書くことに囚われすぎていたからかもしれない。
自分がどこまで書いたか、何を書いたか把握が難しくなってどうしても重複した内容になりがちで。
なので、時系列無視で、これまでの流れとは別のことも書いてみます。
私が会食恐怖症を治せずに、人生を支配されるほどに悪化させてしまった原因は?
というお話
・症状が重すぎた 「外食」と聞くだけでも吐き気がするレベル。
・少食これはもう仕方がない。
・好き嫌いが多い 味覚と嗅覚が人より鋭いように思う。 特に大嫌いなドレッシングやマヨネーズ、ケチャップなどの酢のような匂いには敏感で息を止めても食べる事が出来ない。食感や生臭さにも人より敏感。
・親が食事を用意してくれるる 親が必ず、食事を用意してくれる。る。 たまにどこかへ遊びに行くにも「ご飯までには帰ってきなさい。」「あんたどうせ外行くと何も食べないでしょ。」といった具合に、家で食事をすることが当然だった。これでは外食の機会は奪われる。私もそれが楽だったので良しとしていた。
・実家暮らし 上記の状況になる理由が、そもそも実家暮らしであるため。どこかに出かける際も夕食には帰宅することが前提であり「何時に帰ってくるの」と、親が常に食事を用意してくれるので、今日は外食に挑戦してみようという意欲や気まぐれは全く起きない。
・食べることが楽しくない 好きな食べ物が少ないから、という部分と重なってくる。我が家の場合は、母親が味覚障害を患っているため食事の楽しさとは何か分からなくなることも多い。
・性格の問題題 人間嫌いもあってか、人間関係のなかに信頼を見出すことができずに、会食恐怖症の悩みを誰にも打ち明けられなかった。家族も然り。
まだまだ挙げれば切りがないのだろうが、私が会食恐怖症を治すことが出来ない主な原因だと思われる。
これらの原因があったうえで、例の担任の給食完食指導で「残すことは許されない」という洗脳ともいえる考えが刷り込まれたことによって、会食恐怖症を発症し克服には至らず年月を過ごしたというわけだ。
つまり、潜在的に食事を苦手とする要素をもった人間が食べ物を残すことへの恐怖=食事が怖いという刷り込みが強化されていった結果が私の現状だ。
しかしながら、私の症状は発症当初からかなり重く、外食を避けずにはいられない ほどのものだったことも事実。
まず、こんなものを克服することができるという発想がなかった。
では、全てを過去として私が後悔していることは何か。
学生時代の友人にカミングアウトをしなかったことに尽きる。
親ではなく、他人である友人の方が意外と受け入れてくれたのかもしれない。しかし、カミングアウトをせずに友人関係を続けている人も夜の中には、多いため容易に出来るものではないとも思われる。
「私、食べることが苦手なんだ…」 「そっか、じゃあもう誘わないほうがいいね」 「あいつと食べても楽しくない」
大方、このパターンAを恐れるためだろう。
では、未来から過去に戻った私はどのようなカミングアウトをするか。
私が高校生、大学生ならばー
「私さぁ昔、担任だったやつに無理矢理、給食食わされてぇ。なんか外で食べるときすごく緊張しちゃうんだよね。残したら怒られてたからかな〜 だから飲み物とかサイドメニューとか食べられそうなものを頼むね♡」
こんなことを言われても、友人は何が何だか分からずにとりあえずその場では頷くしかないだろう。 もしかしたら、この事で良からぬ噂になるかもしれない。しかし、ここは鈍感力というものが最重要。
「私は食べられないけど、あなたが食べている横であなたとお話するのが楽しいのよ〜」と自分だけでも勝手に幸せに浸ることだ。
つまり、私が言いたいのは信頼の前にカミングアウトをしてしまえば良かった、ということ。
相手に価値や信頼を見出す前に、当たって砕けるしかない。自分がその人にとって魅力的な人間となれれば、食べられないということで無価値とはされないはずだ。これで失う関係ならこちらから不要の烙印を押してくれようじゃないか。学生時代ならば、視野を広げることさえできれば、出会いは山ほど転がっている。いくらでもやり直しが効く。 社会に出てからは、本当の自分を受け入れてくれる友達をつくることは簡単ではない。
会食恐怖症以外の症状を併発する前に、友人と呼べる人脈をつくるのだ!
つくれば良かった…大人になった私の後悔だ。
言ったところで、所詮はタラレバというやつ。
ただ、過去に戻って出来なかった事をやりたいと考えることは誰にでもあることだ。後悔が先に立っていてくれれば、人生は難しくはない。
カミングアウトは、選択肢の一つとして悪くはないと思えてくるのだ。
その勇気、克服において大事なことは「信頼と自立」というものだろう。