会食恐怖症のはじまり 2
最初に言っておきたいのは、生徒に給食を無理やり食べさせる担任の行為は
令和の世ではしっかりと虐待とされている。
給食の時間になると泣いてしまって、食べることが全くできなくなった。
毎日、給食が食べられず、怒られて泣いている。
こんなことを親には知られてはならないと思った。
給食のせいで帰りが遅くなった日は
嘘をついてごまかす。
でも、そんなのはすぐにバレること。
「あんた泣きながら給食、食べてるんだって?」
母親ネットワークで、娘の醜態を知った母。
「なんであんただけ皆と同じように食べられないの?」
「わがままじゃないの?」
母親に言われた言葉は担任と同じ「わがまま」
ショックだった。
そんなことで毎日、泣いてみっともないとまで言われた。
怒られたって、なんで食べられないのか自分でも分からない。
悲しくて情けなくて。
毎日、怒られて泣いてた記憶しかない。
体育会系の母は「全部、食べてあの担任を見返してやんな!」と私を学校へ送り出す。
前よりも早い時間に私を起こし、朝食を早めに食べさせるようになった。
食べられるようにと母なりに考えたのだろう。
当の私も4時間目が終わって給食の時間になると
1人でトイレにこもって出すものを出して
少しでもお腹の中のものを減らして、食べられるようにと自分なりに努力もした。
私は母には味方になってほしかった。
給食が食べられないなら食べられるようになれ
ではなく、私の心に寄り添ってほしかった。
「わがまま」
担任と同じ言葉を言われたことが今でも心の傷だ。
食べられない、人ができる当たり前ができないことが
本当にわがままという一言で片付けて良いものなのか。
あの頃は、そんなことを考えようとする者はいなかった。
給食が食べられない。
たったこれだけのことで、私の全てが否定された。
「給食を残すことは許されない。悪いこと。」
それだけが私の全てだった。
自分が何のために食べるのかが分からない。
なぜ食べなくてはいけないのか。
なぜ食べられないのか。
なぜ否定されるのか。
この日々がきっかけだった。
〈続く〉