会食恐怖症のはじまり5
進学した高校は食堂がなかったため、
母親の作ってくれた弁当で3年間、昼食の時間を乗り切った。
この頃の私は会食=誰かと食べることへの恐怖というよりは、
残して怒られることの恐怖が大きかったように思う。
私にとって弁当箱という物はありがたいものだった。
喉を通らなくなったら、残したら、そっと蓋を閉じてしまえば良い。
弁当箱は私物だから他人に残飯を点検されて、
怒られる事はないのだから、気が楽。
とはいえ、3年間、弁当でも苦労なしとはいかなかった。
これまでの経験からか潜在的に食べるということへの不安があるせいか、
ご飯が喉を通らないことも多くあった。
家でも食べられず、お弁当も一口食べたら吐いてしまうのでは…
という日々が続くことも。
母が作ってくれた弁当のおにぎりを手つかずで残して帰ったときは、
「なんで、こんな酷いことするの」と言われた。
弁当も残せない…
今でも思い出すだけで、胸が痛くなる。私は最低なことをしていた。
どうしても、弁当が食べられず、残してしまった日は
駅のごみ箱に捨てていた。学校のトイレに流した。
本当に申し訳なくて、情けない。
今、考えても普通じゃないことをしていた。母には絶対に言えない。
でも食べられなかった。
残飯を持ち帰るわけにはいかなかった。
この頃から、友達の遊びの誘いは全て断るようになった。
高校生にもなると、どこかへ遊びに行くとなると
昼食もレストランなど外食をしようということになるからだ。
人付き合いには必ず食事が、つきまとう。
この頃は、そんなに重大なことだと気付きもしなかった。
とにかく、食事から逃げて、あの発作のように辛い吐き気や
恐怖から逃げることが先決だ。
回避行動
この選択が今思えば、間違いだったのだ。