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大阪44日目は、石井十次を学ぶ

地元に住んでいると、郷土の礎を築いた偉人の話題に触れる機会がある。

例えば、毎年県庁中庭で行われる川越進(宮崎分県の父)献花式のように、顕彰するイベント等が折にふれメディアで報じられるからだ。


逆に、それで知った気になってしまっているところがある。

大阪に赴任して早々、関西在住の某氏から「宮崎にはすごい先駆者たちがいる。君はちゃんとそれを知っているのか」と諭されたことがあった。初対面の挨拶直後だったのでさすがに驚いたが。

ただ、言われてみれば
「燃える闘魂、アントニオ猪木」的に
「ビタミンの父・高木兼寛」だとか
「旅と酒を愛した歌人・若山牧水」だとか、
まあそんな程度のあっさーい知識しかない。

県の代表として大阪にいる以上、そんなことではいけないだろうと素直に反省し、少しずつ勉強を始めている。

そういった偉人の1人に「児童福祉の父・石井十次」がいる。


たまたま先日出席したある県人会で「見るにみかねて孤児を引き取り育てた」というご夫婦の体験談をお聞きする機会があり、「社会の一員として子どもを育てる」という精神の尊さに感銘を受けたばかり。

せっかく宮崎に帰省したので、直接、石井十次資料館を訪ねてみたところ、偶然にも現在、社会福祉法人として事業を引き継がれている児島理事長ともお話することができた。

明治時代、石井十次は最大1200人もの戦争孤児・震災孤児を引きとり、教育の場と生活の場を用意したのだという。それは「福祉の心」だけでできることではない。孤児らを支えるスタッフ、そして資金(現在の金額に換算すると月額6000万円だとか)が必要で、それを全国の企業からの寄附で賄ったのだという。事業家としてのスケールが桁違いだ。知らんかった。

たくさん資料を頂いたので、引き続き学んでいきたいと思う

(メモ)
・朝から各課との協議
・紺綬褒章授与式
・石井十次記念館
・FBミーティング

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