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EXPO’70のバタバタ(大阪61日目)

仕事柄、全体マネジメント役をやる機会が多いこともあって、イベントや展示会のようなものは、つい運営側目線で見てしまうところがある。

EXPO’70パビリオンでは、当時のコンパニオン(当時はホステスとかシスターとか呼んでいたようだ)の衣装展をやっていて、その中で当時の「募集要項」や「運営マニュアル」の展示があった。その文書が、なんだか今も昔も変わらない「お役所文書」でちょっと笑ってしまった。55年前もきっちりしてたんだなあ。



一方で、そんなにきっちりしっかり準備していたにも関わらず、会場ではいろんなトラブルが起きていたようで、大会運営事務局の苦労を想像すると、だいぶ「しんど!」な気持ちになってしまう。海外から76ヵ国も参加していて、電話は固定電話のみ、もちろんメールやSNSはない時代。いったいどうやって対処したのか。

例えば、開会からの2週間ぐらいの出来事をwikipediaの記事からピックアップしてみると・・・

・3月14日 - 開会式開催。招待営業中に空中ビュッフェのカプセルが上昇中傾斜し、3名が軽傷。

・3月15日 - 開会。万博粉砕共闘会議67人が反万博デモとして万国博中央口駅に座り込み、不退去罪・鉄道事業法違反・威力業務妨害罪で逮捕。

・3月16日 - 中華民国館で特殊ガラス張りの蒋介石の肖像画にスパナを投げた男が威力業務妨害罪で逮捕。

・3月21日 - モノレール西口駅にてオーバーランのため手動急停車、4名が軽傷。

・3月26日 - 9時55分ごろ、動く歩道ソ連館前出入口付近でソ連館方面へ行く観客と中央方面へ向かう観客が錯綜して行き詰まり転倒事故が発生、重軽傷者81名。

・3月29日 - 場内食堂で43名の集団食中毒発生。


連日の事件事故。
ほんまにどうやって乗り切った?(乗り切ってない?)

これ以降も、「太陽の塔立てこもり事件」とか「会場の老人対策が足りなくて大クレーム」とか「迷子累計4万8000人」とか「集中豪雨や台風での床下浸水、土砂崩れ、建物損壊」とか「レンタル傘の持ち帰りが多くて中止」とか「人が来すぎて輸送力がパンクして約5000人が会場内で野宿」とか・・・。今なら裁判沙汰レベルの案件がズラリ。ああ、恐ろしい。

まあ、そういった修羅場を潜り抜けたことが国全体のノウハウとして蓄積されて、今のテーマパークにおける一定の秩序に繋がっているのかも。知らんけど。

(メモ)
・U社来訪
・宮崎へ
・各課との打合せ、人事面談


アメリカンチェリー・グレープフルーツ食べきってしまった(寂)
551点心セット/蓬莱



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