理屈と現場

公務員の業務というのは、多様な領域にまたがっていて、異動も頻繁にあるため、「商工で頑張っていたと思ったら、今度は福祉ですか。大変ですね。」と言われることがある。確かにその専門性を高めていくのは大変ではあるものの、体感としては世間一般から言われるほどの苦労はない気がする。

というのも、仕事の「やり方」という切り口で分けると、実はざっくり2種類しかないのだ。異動があっても、その2種類の間をいったりきたりしているだけなのだ。

その2種類とは、「内部中心」の業務と「外部(地域)中心」の業務である。*これって案外、公務員自身でもちゃんと意識しているヒトが少ない気がする。

「内部中心」の業務は、組織運営そのものに関わる業務である。たとえば「財務・会計」「人事」「内部調整」といったものだ。「財務・会計」は、予算の管理・運営であり、「人事」は、組織づくりや人事配置、「内部調整」は部局内や部局外との連絡調整が主な業務である。組織の「外部」と触れる機会は圧倒的に少ない。

そして「内部中心」の業務は、おおよそ「理屈」の世界である。根拠となる法律や条例・規則、あるいは国の方針、県や市町村の長期計画等があり、またその組織内で培われた長年の経験則や慣習などもあって、強固な「理屈」で支配されている。担当する内容によって、依るべき法律等は違うから、異動後の勉強は必要だし、大変っちゃあ大変だが、押さえるべきポイントさえわかれば、なんとかなるものだ。

だからこそ異動後、1~2か月もすれば、ぼんやりとでも全体像が掴めるし、1年も経過すれば自信をもって業務にあたれるようになるのだ。


さてもう一方、「外部(地域)中心」の業務というものがある。組織の「外」、すなわち地域のさまざまな機関や団体との共同作業によりモノゴトを進めていく業務である。農・林・漁業や商工業といった「産業区分ごと」、あるいはその自治体にとって重要性の高い「地域課題ごと(たとえば国際化・文化振興・環境保全など)」によってチームを編成し、外部機関との連携を深めながら運営していく。

つまり「外部(地域)中心」の業務は、「現場」の世界である。政治・経済といった社会情勢、関係者の思惑・思い・歴史といったリアルな「現場」に寄り添って業務を進めなくてはいけない。そういった中で、地域課題を解決していくには、時に率先して理想を語り、時にデータを収集・分析し、時に関係者の声を拾い・選択し、バランスをとりつつも、力強い推進力をもって進んでいかなくてはならない(そうしなければ課題など解決できない)。

「外部(地域)中心」業務が厄介なのは、その分野には明文化されていない歴史があり、モノゴトを進めるための機微みたいなものがあったりすることだ。これは1年2年といった時間軸では身につけにくいものであり、積み重ねた人的ネットワーク等も重要なファクターとなってくる。


このように「内部中心」の業務=「理屈の世界」と、「外部(地域)中心」の業務=「現場の世界」は必要なスキルが大きく異なってくる。したがって業務によってスキルの使い分けが重要である。「外部(地域)中心」の業務を担当しているのに、理屈だけで仕事をしていては、具体的な課題解決にはまったく繋がらない。

しかしながら、どちらか一方に長く所属していると、どうしても偏った仕事のやり方がしみついてしまい、柔軟に対応できなくなるものだ。たとえば「内部中心」にどっぷりはまった人間は、「外部(地域)中心」の仕事に異動にしても、さっぱり現場に足を向けようとしない、ということが起きてくる。

人口急減時代というのは、有史以来人口増加を前提に積み上げられてきたこれまでのルールがさっぱり通用しない時代ということだ。だからこそ今まででの仕事のやり方を改め、現在の、あるいは未来の「課題を解決する」ことが求められている。

公務員人生のかなりの部分を「外部(地域)中心」に過ごしてきた自分からみると、今の公務員たちは「内部中心」のスキルに偏った人材育成がなされている気がしてならない。青島俊作が「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きているんだ」と叫んだのは1998年(「踊る大走査線 THE MOVIE」)。あれから20年の時間が経っているというのに、公務員の「現場」はなかなか変われないでいる。

先日、某親友から「このnoteには、もっと具体の経験談を書くべき」という話があった。経験談=自慢話になることは避けたいと思っていたのだが、「外部(地域)中心」のスキルについては、確かに具体的な個別の事例を拾っていかないと伝わらないのかもしれない。

ものは試し。直近の仕事である「地域包括ケア」の仕事から、「外部(地域)中心」のスキルの在り方について考察していこうと思う。


いいなと思ったら応援しよう!