プロジェクトの立ち上げ方 2
前項で「スタート時点でリアルに想像できるミライの姿がある」ものがプロジェクトにふさわしい、と書いた。
一方で、まったく何の方向性も、お手本となるべき事例もないまま、取り組むべき課題がずずーんと存在感を増してきたために「とりあえず」プロジェクトだけが立ち上がることもある。
自分の経験で言えば、「東国原知事が就任して1年が経過して、その強力な発信力頼みだったので、次のステージとして、その発信力を最大限に活用しなくてはいけないプロジェクト(みやざきアピール課)」だったり、「社会保障費がいよいよあかんくなって、国が本気でどげんかせんといかんと思って動き始める地域包括ケアを構築するプロジェクト(医療・介護連携推進室)」だったりである。つまり、課題は明確、目指すべき将来の姿は不明確、というようなケースである。
そのような時は、どうやってプロジェクトを立ち上げ、動かしていけば良いのだろう。
・・・それはもう「脳を雑巾のように絞る」しかない(笑)。
そもそもこういう「切羽詰まった案件」はお手本がないのである。どこへ向かえばいいのかもわからない。その解を考えるのは、プロジェクトを託された担当者である自分しかいないのだ。
担当者が最初にすべきことは何か。それはひたすら情報を集めていくことである。自分の脳に与える情報の「量」が重要になってくる。
関係する統計データ、他の自治体や民間企業の事例、関連する専門書、研修会への参加、現場でのヒアリング・・・。直接的なデータのみならず周辺情報も含めて、たくさんの情報を脳の中にインプットをしていく。そこまでやって初めて、今回のプロジェクトにふさわしい「解」を自分なりにひねり出していくための土壌が整っていく。
この時、ありがちなのが「体裁だけ整えて、解を出さない」という方法だ。つまり「言い訳」である。自分たちはこれだけ多方面から検討を重ねたが、事案が事案だけにそうそう解は見出せるべくもないから、引き続き検討していく・・・みたいな御託を並べて、何の「解」も出さない輩もいる。最低だ。
そうではなく、泥臭く、這いつくばって、知恵を、脳を絞るのだ。そのプロジェクトに関して、日本で一番考え、日本で一番悩んだとき、きっと神様は「チャンス」を与えてくれる。そしてそのチャンスを掴む「腕力」があれば、きっと突破口は見出せる。
ああ、スキルと言いつつ、この部分は精神論っぽくなってしまうが、最後の最後はそういう「粘りスキル」みたいなものが大事なんだろうと思う。
いやいや、そもそもプロジェクトなんてものを任されたことなんてないよ、特命的な仕事なんて超スペシャルな出来事であって、甲斐さんの例は特殊例だよ、・・・という人のために、ルーティンワークにおけるプロジェクトの立ち上げ方の話に続く。