与えられた仕事との向き合い方

さて、今回から「地域包括ケア」を題材にして、スキルの磨き方を考えていきたい。とかいいつつ、今の時点で具体的にどのようなスキルを取り上げることになるのか、まったく想定してない。なんていい加減な(笑)。

でも、40代後半で全く経験のない「介護」というジャンルの仕事を与えられ、それなりにもがき苦しみながら、市町村のみなさんとタッグを組んだ結果、県内でさまざまな「先進事例」をつくれたのだから、きっと自分なりにさまざまなスキルを駆使してたはず!たぶん!

さて。そんな「地域包括ケア」第1回目は、「与えられた課題との向き合い方」について書いてみる。というのも、実は3年前の人事異動で「地域包括ケアを担当せよ」と言われた瞬間、「マジか!県庁やめたる!」と思ったのである。まずはその経緯から始めてみる。

ぼくは東国原知事時代に立ち上がった「みやざきアピール課」が、商工系はじめての仕事だった。異動の際に「甲斐くん、商工は何回目だっけ?」と言われたくらい、商工っぽいイメージがあったようだ(どんなイメージだ?)。

でもそういう印象はあながち間違いでもなかったようで、アピール課に在籍した4年間はナショナルブランド企業とゴリゴリと仕事をしていたし、次に異動した雇用対策の3年間も、県内企業の社長らといいコラボができていた(当社比)。ぼくは「ビジネスばりばりな人たちと一緒に働くのが合っている」と感じていた。

また、この「ビジネスばりばり」な仕事は、ザ・公務員とは対極にある仕事だったりもする(*いまだに「公務員は商売の手伝いはしない」と信じている人がいるほど)ので、せっかく配属されても馴染めない職員も多い。

であればこそ、3年前の異動では満を持して、自分がビジネス系のセクションに異動し、宮崎県のビジネス躍進に情熱を注ぐ気満々だったのである。ビジネスと一言で言っても、産学官金連携(総合政策部)、農業・漁業(農政水産部)・林業(環境森林部)・製造業・流通業・サービス業(商工観光労働部)などすそ野も広く、きっとどこかには配属されるであろうと思っていた。

ところが、である。内示があったのは新設の「医療・介護連携推進室」であった。確かに若いころ「高齢者福祉」を担当したことがある。医師確保プロジェクトで「医療」もカジった。だからと言って、まったく希望してないし、合っているとも思えない福祉保健部への異動っていうのは、そりゃないぜセニョール(古)ってなもんであった。積み上げてきたキャリアプランが全て崩壊した(と思った)。

それでも人事は人事である。辞職しない限り異動しなくてはならない。ぼくは結局辞めなかったから(当たり前だけれど衝動として辞めたい!と思うことと本当に辞めることは全然違うことである)、言葉の意味さえ知らない「地域包括ケア」ってものを担当しなくちゃならないことになった。

というわけで「与えられた仕事との向き合い方」である。この話つづく。

いいなと思ったら応援しよう!