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地元学の影響?(大阪323日目)

10年以上前、県内最難関校の一つである県立大宮高校・文化情報科で、地元学という講座を手伝っていたことがある。

ある指導主事の先生から相談を受けたのだ。

「地元学に関する本を読んで感銘を受けた。うちの学校は県外の大学へ進学する生徒がほとんど。地元のことをよく知らないまま県外に出て行く。外の世界に羽ばたくことは良いことでもあるけど、将来何らかのカタチで宮崎と関わってほしいという思いがある。地元学を学ぶにはどういうやり方がよいだろうか。」

民間の誰か(思い出せない)、県職員の若手(指導主事の教え子)、そして中堅の自分が相談相手だった。

あれこれ議論をするなかで、
・高校に入学してすぐに行われる1泊2日の合宿でワークショップを実施
・まずは地元学の概要を学ぶ
・グループに分かれてテーマを決め、「宮崎のことを知る」「宮崎の未来を描く」「具体策を考える」というワークを行う
・模造紙にまとめて発表する
・コンテスト形式にし、優秀賞等を決める
という全体像を描いた。

そして、当日はぼくが審査員長として参加することなった。本来業務とは関係ないので年休をとってのボランティア参加。

やってみたら、さすが優秀な生徒たち。さまざまな切り口で宮崎のことを深掘りして企画を立ててくれたので審査をしていても楽しかった。



時が流れ10年余。某飲み会で、そのときの高校生の1人に再会した。彼自身のことを覚えていたわけではなく、お互いのプロフィールを話しているうちに、あれひょっとしたらあの時の?ということで話が一致したのだった。

彼は高校卒業後、東京の大学に進学し、今は大阪で弁護士をしているという。

そして、しっかり宮崎への愛情も持ち続けてくれていた。宮崎のアンテナショップに出かけては県産品を買い、チキン南蛮が美味しい店があると聞けば、遠くにまで出かけていき、ある意味宮崎に飢えるほど愛してくれていた。その飲み会でも、宮崎の人と故郷の話ができて、すごく嬉しいとも言っていた。

「将来は宮崎に帰るのか」と尋ねてみると、
「今は仕事に忙殺されてるけど、頭の片隅にずっとある」と言った。

高校1年の春に地元学を学んだことが、彼の宮崎愛にいくばくかでも影響を与えているのだとしたら、あの取組をやった甲斐があるというもの。わからないことだけど、少しは可能性がある。ふふふ。

過去の自分が今の自分にご褒美をくれたような気持ち。
ありがたいことよ。


小倉トースト的なもの


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