学ぶ意味①
【みんなの学ぶ意味、生きる意味を語り合ってほしい。研究したい。】
おはようございます。
一昨日は泰子さんのイベント、昨日はアフタートークに参加しました。
泰子さんは初めてお見かけしたのですが見事にコテコテの関西お母さん。私の祖母がネイティブ関西人なので勝手に親近感を感じつつイベントに参加させていただきました。
一番刺さったのはこのテーマ「勉強と学びの違い」
さて、教育学部に入ったものの、全くわからないものがあります。それが「学び」。これ、何なんでしょうね。ということで昨日考えてみました。
とりあえずの結論は「勉強の後付けでついてくるもの」くらいなのかなーと。しかし大変です。なぜ勉強するんでしょうか。小学生はよく言います。「これベンキョウするいみあんの~??」
大学に通って早三年、子どもや子どもに関わる人々とたくさん話しましたが未だにわかりません。だって勉強にも学びにも終着点がないんだもの。そして気づきました。「これは生きる意味を考えてしまっている。」
さて、勝手に哲学を始めるのが私の非常に悪い癖です。一般人知識しか持ち合わせていないのに哲学しようとしないでいただきたい、君。
そこで哲学史を漁った頃のことを思い出します。生きる意味を明快に答えた人なんて居ませんでした。(私調べ。)
一方ツァラトゥストラはかく語りき。「神は死んだ」
ニーチェによれば人生は永劫回帰、日々のの作業や仕事に意味はあっても、人生全体に意味は無いって言い切っています。
じゃあ、学ぶ意味ないじゃん。ハイ終わり。なんて言ってしまったらどうしましょう。教育の意味が今なくなりました。私も現在圧倒的ニヒリズムに陥りそうです。
でも一応、ニーチェは答えを出しています。「超人になれ」
日々の繰り返しと人生の意味の無さを受け入れて、現在の眼の前のことに価値を見出すことが大切らしいです。(超ざっくり言えば。かなり素人です詳しい人いたら教えて下さい。)
となると、子どもが目の前の事に価値を見いだせていたら、少なくともその時点では「生きる意味のなさ」を克服していて、絶望もしないわけです。
じゃあ、「目の前のことに価値を見いだす」って何なんでしょうね~~。ちなみに私は今、ちょうど全ての物事に意味を見いだせず虚しくなっています。日々に価値、見い出せねぇ~~。(この状態もニーチェ的に「未人」と言うそうです。夢も目標もなく時間を潰すだけの人間なんですって。どひゃー。)
さて、ごく個人的な病みに入りそうなのでここいらで止めます。なぜか文章にすると明るいことを書けません。なんででしょうね。同じような方居たら話したいです。
皆さん、学びって何だと思いますか?
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