異次元世界への旅ー私の‘’村‘’体験3
3 腹が立ちまくる自分
そんな中で、日常生活のささいなことが気になり、怒りまくっていた。
例えば、駅の自動販売機で切符を買おうとするとき(当時はまだ,パスモやスイカはなかった)、並んで待つのは仕方ないとしても、自分の番になってからやおら財布を取りだして、もたもたしている人がいたりすると、すごくイライラした。特に、隣の列の人のほうが、後から来たのに先に買うのを見ると、すごくイライラすると同時に、選択の誤りを悔いた。銀行のATMやトイレのように、「1列並び」にしてほしかった。
スーパーのレジで並んでいると、後ろに何人も並んでいるのに平気でレジの店員と世間話をしている人がいて、どなりつけたこともある。
信号で待っていると、タバコの煙が漂ってきて、とてもイライラする。でも、文句を言うと何をされるかわからないから、黙っている。黙っている自分が無力で、情けなくて、また落ち込む。
図書館に行くと、子どもが騒いでいるのに親は見て見ぬふりだ。子どもだけのほうがよっぽど静かである。あまりにうるさいので注意したら、父親にこづかれたこともある。それを図書館の職員に言ったら「注意の仕方が悪い」と、被害者の私のほうが悪者にされて、頭に来たので、借りようとしていた本を返し、カウンターに貸出券をたたきつけ、「もう二度と来ません」と言ったこともあった。
そういった小さな「事件」は毎日のようにあり、とても疲れていた。
でも、友達に話すと、「またケンカしている」と責められる。
自分でも、そんなことぐらいでイライラするなんて、とか、もっと冷静にならなければ、と思うのだが、そのときになるとやはりまたカッとしてしまう。
そして、「また同じことを繰り返していて、ダメじゃないか。ちっとも学習機能がないじゃないか」と思い、また落ち込む。アル中患者が「きょうこそは酒を飲まないようにするぞ」と固く決意してもまた飲んでしまって落ち込むのと同じように、私も、「きょうこそは“事件”を起こさないようにするぞ」と思ってもうまくいかず、落ち込んでばかりいた。
当時住んでいたアパートはすぐ近くにコンビニがあり、夜中まで店の前で騒ぐ人や、荷物を配達しに来たトラックのエンジンやカーステレオの音に悩まされていた。
それで、1度引っ越したが、今度は隣の部屋に小さな子がいて、子どもはもちろんうるさいが、その子をどなりつける親の声にも閉口していた。
そして、文句を言うと反撃されたり、「恐い人」というレッテルを張られ、文句を言わないで我慢していてもストレスが溜まるし、だんだん落ち込んでいった。
「何とかして自分を変えなくては」という思いばかりが先行し、イライラする自分を責めても同じことの繰り返しで、自分で自分を持て余していた。
いつも神経がささくれだっていた。シャンプーのCMで、「傷んだ髪の毛のキューティクル」の顕微鏡写真を見たことがある。
私の神経も、そのキューティクルのように、あるいは、ネコがツメを研いだ後の柱のように、ささくれだって、けばだっているような気がした。マグマのように怒りがたまっていて、いつ爆発してもおかしくない状態だった。
試行錯誤
同じことに出会っても、人によって受け止め方は違う。「気の持ちよう」だと言われる。でも、どうしたら落ち込まないような「気」を持てるようになるのだろう。
「ものの見方を変えればいい」と言われても、どうしたら変えられるのか、わからない。お説教を食らっているような感じがした。ネガティブな見方をしてしまう自分を「だからダメなんだ」と思っていた。
自分で「あるべき自分」のイメージをつくり、「自分で自分をしばっている」と言われたこともある。でも、どうしたらその思いをはずせるのだろう。
「自分で自分を責めるから苦しくなる」と言われると、今度は責めている自分をまた責めてしまい、無限連鎖に陥る。
そして、人目が気になった。いつも他人から監視され、批判され、査定され、責められているような気がしていた。
「人間関係がうまくいくようになる」などの本を読んだり、カウンセリングに通ったりしたこともあった。でも、問題をつきつけられて、よけい苦しくなった。
「問題に気がつくのは、見ないでふたをしているよりはいい。」と言われたが、問題は見えても答えがわからない。
目の前に宿題を山積みされているようで、しんどかった。「傾向」はわかっても「対策」がわからない。あるいは、「対策」はわかっても、その通りにはできない。
いくら「感情的になってはいけない」と頭ではわかっていても、そのときになると、カッとしてしまう。わかっちゃいるけど、やめられない。「どうして自分は人間関係がうまくいかないのか。みんなちゃんとやっているのに。そんなことじゃダメじゃないか」と思っていた。
「アサーティブ・トレーニング」(自己表現のトレーニング)というのに参加したこともある。
でも、そういうところに来ているのは、「言いたいことが言えない」という人が多く、私のように、「がまんできなくて言って、ケンカになる」という人は少なかった。「言えるだけマシ」という雰囲気がして、私の悩みはわかってもらえない気がした。何回か話し合ったりしたが、そのときには救われたような気になっても、日常生活に戻ると元の黙阿弥で、悩みが解決できたわけではなかった。
イライラを減らす漢方薬を飲んでみたこともあった。でも、薬を飲むと、すごくだるくなり、眠くなる。それでいて、夜はよく眠れない。2、3回飲んだだけでやめてしまった。「腹が立ったら、すぐには言わず、10数えれば気持ちが落ち着く」とも聞いた。でも、1つ数えるたびに怒りがふくらみ、かえって逆効果だった。
悩みまくる日々
「何もかも、もうどうでもいい」という投げやりな気持ちになることもたびたびだった。でも、本当にどうでもいいのなら、悩みはしないのに。
そして、何も感じないようになりたかった。感じてしまうから、苦しくなる。いやなことをがまんしていても、いつかは爆発する。それなら、はじめからいやだと感じないようになれればいいのだ。
ロボトミー手術でも受けたいと、真剣に考えた。いつも疑問を感じてしまう、生きづらい自分を「疑問を感じる前の状態に戻したい」と切実に思っていた。でも、そんなことが実現できるわけはない。
人間でいることはつらいので、アメーバにでもなりたかった。でも、人間にはわからないだけで、アメーバも悩んでいるのかもしれないから、アメーバに対して失礼な気がした。
東京で生活するのは生きづらいので、どこか自然の豊かな田舎で暮らしたい、と思ったこともある。
でも、「田舎暮らし」の本などを見ると、「人間関係が難しい」と書いてある。実際、田舎の生活は、24時間・365日監視状態で、「○○さんの妹の嫁ぎ先の3軒先の××さんの子どもがどうした」というように、いもづる式にみんな知り合っていて、一挙一動を見張られているようで、とても耐えられそうにない。それに、例えば農業をやるにしては、体力に自信がなかった。車の運転免許もない。
「本音を言うと責められる」という日本で暮らすのは息苦しいから、外国に行きたいとも思った。でも、私の仕事は日本語が商売道具だったから、外国で生活できるとは思えなかった。日常会話ぐらいはできるようになっても、それで仕事をするのは、とても無理だ。
もっと若い頃には、自分が生きづらいのは社会が悪いからだと思い、社会変革に参加したこともあった。けれども、いくらがんばっても、いつまでたっても世の中は変わらない。無力感・挫折感・敗北感ばかり感じていた。
もどかしいだけならまだいいが、だんだん周囲の人達がバカに見え、批判的に見るようになった。
生きやすい社会を創ろうとして活動しているのに、生きるのがしんどくなって、何だか変だと思いつつ、どこがおかしいのかわからなかった。
熱心に活動する人達に、「どこからそのエネルギーは湧いてくるのか」と尋ねても、納得のいく答えは返ってこなかった。あまりうるさく問うと「日和っている」と言われた。なんだかだんだん窮屈になって、やめてしまった。
私が変われば世界が変わる のか?
社会を変えることに疲れた人は、自分を変えることに向かう。‘’村‘’のキャッチフレーズに「私が変われば世界が変わる」とあった。いつまでたっても変わらない世界に見切りをつけ、自分が変われば楽になると思った。 「自分が自分のままでは社会に適応できない。変えなくてはいけない」と思っていた。適応できず、無理に合わせようとして挫折する。
そして落ちこぼれ感にさいなまれる。適応できない自分をダメだと思っていた。合わせようとすると窮屈だし、かといって、はみだすのはつらいし怖い。無理に適応しようとして、抑圧している部分がたくさんある。
自分だけが抑圧されるのは割が合わないから、他人にも「ちゃんとする」ことを求めては反発されていた。鬱積するものがあるから、生きていてもおもしろくないし、いつも不満を抱えていた。そして、何とかして抜け出したいと思っていた。
社会を変えることも、田舎や外国に逃亡することも、ダメそうだ。何とかして抜け出したいのに、道がわからなくて、もがいてばかりいた。何もかも、生活そのものを、リセットしたかった。
そんなとき、たまたまある所で、‘’村‘’の人に出会ったのだ。そして、1週間の合宿生活を送る「特別講習研鑽会(特講)」に参加してはどうか、と誘われた。
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