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宝物
春ーシロツメクサの花輪
春、シロツメクサ(クローバー)の生えている原っぱで遊んだ。
「幸せを呼ぶ四つ葉のクローバー」を探したのは、小学校高学年か中学生位になってからのことで、10歳くらいまでは花輪を作ることが主だった。
花をつんで、編んでいく。
編み方は、いつ、誰に教わったのか、覚えていない。子どもにはけっこう難しかった。何回もやりなおしていると、茎がふにゃふにゃになってしまう。ある程度(約10cm位)編み進むと、そこからはラクになるのだけど、初めはしっかり押さえてきっちり編まないと、すぐほぐれてしまう。ポイントは、なるべく茎の長い花を選ぶことである。
途中にタンポポの黄色、カタバミのピンクなども入れてアクセントをつけると、なかなかきれいな花輪ができあがる。
頭にのせたり、首輪にしたりする。それを使って遊ぶというより、作ること自体が楽しかった。
春の日は長く、1学期が始まって間もない頃は学校の授業が終わるのも早い。原っぱのすぐ脇には大きな道路があり、車の往来も激しかったが、排気ガスをものともせず、しゃがみこんで一生懸命花をつんでは編んでいた。
せっかくきれいにできたので、家に持って帰り、机の引き出しの中にしまっておく。
だが、花輪には水分が多く、気温も上がってくる季節なので、1週間もすると、腐ってしまい、親に発覚して怒られることになる。
「こんな汚いもん、早く捨てて来なさい!!」と、怒鳴られる。
すでに見るかげもなく腐っていて、半分持て余していた頃なので、捨てること自体は、そう惜しいとは思わない。
でも、頭ごなしに怒られて、おもしろくない。
別に悪いことをしたわけではないのに。
まさか腐るなんて、予想もしていなかったのに。
妹が通りがかりにそれを見て、「ざまあみろ」という感じでせせら笑っている。憎たらしくなってこづいたりすると、また怒られる。しかしそれは、二次災害のようなものである。
秋ードングリの実
秋、ドングリの実を拾った。クヌギのドングリは大きくて立派である。しかし、誰かが先に採ってしまうのか、なかなか見つからなかった。シイやカシのドングリはよく集めた。ハカマを取ると、そこだけ色が違っているのがおもしろかった。
ドングリも、それを使って遊ぶというより、集めること自体が楽しく、ときどきコマを作って遊んだりしたが、大部分は、特に何かにするわけではなかった。でも、せっかく拾い集めたので、とりあえずビニール袋に入れてしまっておく。
だが、ドングリからは虫がわくことが多い。
「こんな汚いもん、早く捨てて来なさい!!」と、母に怒鳴られる。(以下同文)
秋にはジュズダマの実も採った。黄緑色の実が茶色くなり、固くなると、採り頃である。勢いのよいジュズダマだと、背丈が1mを超え、子どもには採るのがけっこう大変だった。ジュズダマの実は、1つ1つみんな模様が違うのが不思議だった。
集めたジュズダマには糸を通してネックレスにした。固い実の中心に、針がすっと通るやわらかい部分がある。針を通すと、枯れた茎?のようなものが出てきた。そして、ネックレスにした残りの分は、やはりビニール袋に入れてしまっておく。
だが、ジュズダマには水分が含まれていて、ビニール袋に入れておくと、根が生えてこんがらかってしまったりする。(以下同文)
学校の鳥小屋
学校の校庭の隅にトリ小屋があり、ニワトリ、アヒル、セキセイインコ、ウズラ、キンケイチョウなどが飼育されていた。
休み時間になるとトリ小屋の前に行って、しゃがみこんで見ていた。薄暗いトリ小屋に日光が差し込むと、光線の具合で羽の色が違って見える。特にキンケイチョウの雄の羽はとてもきれいで、じっと見ているといつまでも見飽きなかった。
羽を引っこ抜くようなことはしなかったが、落ちている羽はよく拾った。金網が張り巡らされていて、手は届かない。しかし、校庭には竹ぼうきの先がよく落ちていたので、それを金網のすき間に入れ、羽をたぐり寄せて取った。
これには高度な技術がいる。「あとちょっと」とか夢中でやっていて、授業開始のチャイムが鳴ったのにも気づかず、日直の子が呼びに来たこともあった。肩をたたかれて、はっと回りを見回すと、いつの間にか校庭はしーんとしていて、遠くで体育をしている声だけが響いていた。教室に戻ると、わざとさぼったのではないことがわかったらしく、特に怒られはしなかったが、とても居心地が悪かった。
そうやって、やっと取った羽を大事に持って帰り、やはり机の引き出しの中にしまっておく。
ときどき引っぱり出して眺めるが、トリ小屋の前で見たときのような輝きはなかった。やはり、生きている状態とでは違うのだろう。でも、少し色あせてはいても、捨てる気にはとうていなれず、眺めてはまたしまっておく。
だが、トリの羽からは虫がわくことが多い。(以下同文)
空き地
怒られたのは、拾った物を持ち帰ったときばかりではなかった。
夏の終わり、空き地にヨウシュヤマゴボウの実がなる。毒々しい紫色をしていて、つぶすと手が紫色に染まる。実を採って遊んだこともあるし、近くで遊んでいて、実に触ることもある。
どちらにせよ、手も、洋服も紫色に染まり、家に帰ると「汚した」と言って怒られる。
秋、空き地で遊んでいると、イノコズチやオナモミの実が服に付く。知らずに家に帰ると、やはり怒られる。
よく、土をほじくってトンネルやおダンゴを作って遊んだ。どろを溶かして「コーヒー牛乳」を作ったりもした。でも、そうしていると、やはり手が服が汚れ、怒られた。
空き地は、私有地だったらしく、入口にはバラ線(有刺鉄線)が張られていた。
男の子たちは、バラ線を乗り越えて空き地に入った。私は、背が低かったので、ネコのように、バラ線のすき間から入った。そうすると、スカートの裾がバラ線にひっかかり、カギザキになってしまい、また怒られる。
私が自然の中で楽しんでいると、いつもいつもそうやって怒られてばかりいた。
せっかく拾って来た宝物を「汚い」と言ってけなされた。
昆虫の図鑑や宇宙の本とかを読んでいると、「気持ち悪い」とか「男の子の読むような本ばかり読んで」とか言われた。
よく、生物の研究者などの本を読むと、子どもの頃に自然と触れ合った体験が生きている、と書かれている。親に、ほめられるまではしなくても、否定はされなかったから、そういう道に進めたのだろう。
そういう人がうらやましい。私だって、あんなふうに否定されなければ、もっと自分らしく生きられたのに、と思う。
自然ともっと触れたかった、という欲求不満があるだけではない。自分が本来持っていた興味や関心を否定され、「自分が自分であってはいけない」という感覚を持たされてしまった気がする。それを、どう取り戻したらいいのだろう。