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異次元世界への旅ー私の‘’村‘’体験6
6 特講 3-残れますか
「研鑽資料」という本を使った研鑽もあった。その本は、手に取っても、「開かないように」とか「次のページを見ないように」とか言われて、テストのようだと思った。その理由として、「今に集中する」という説明がされたように思う。その本には‘’村‘’の理念が書かれていたが、文章が古めかしくて、よくわからなかった。
近くに散歩に出たこともあった。ラジオ体操以外では久しぶりに屋外に出て、春の淡い陽を浴びながら、タンポポやイヌフグリの花の咲く道をのんびりと歩いた。
それが、突然、世話係の顔つきが厳しくなり、「この特講は○月○日の12時で終わります。その後、引き続き、ここに残れますか」と問われた。
7日間の特講のうち、確か5日目の夜のことだった。
この問いは、現世への執着を断ち切るのが目的ではないかと思う。
参加者は当然、「仕事があるから残れません」とか「家族が待っているから残れません」等と答える。すると、世話係に「残れない理由を聞いているのではない」と言われ、さらに「このままここに残れますか」と問われた。
私は、「残れるわけがない」と思っていた。仕事もあるのに。
その問いは執拗で、何回も何回も繰り返された。「何で同じことばかり問うのだろう」と思っていた。「早く終わらないかなぁ」と、そればかり考えていた。いくら聞かれても、残れないことには変わりないのに。時計はなかったが、もし時計があったら、時計の針を眺めてばかりいただろう。
そして、「残れます」という人がいるのが不思議だった。ただ、「残れます」が正解というわけでもなく、「残れます」と言っても、「もっとよく考えて下さい」と言われる人も多かった。私は、最後まで「残れません」と言った。そう言った人は私以外にも何人かいたし、だからと言って不利になるわけでもなかった。
でも、心の隅に、「このまま引き続き残ることはできないけれど、1度日常に戻って仕事を引き継いでからなら来てもいいな」という思いも芽生えていた。
「こういう自然の豊かなところで、食べ物も自給して、自分に合った仕事をして、ムダも不足もなく、みんなと共同で生活できたらいいなぁ」とも思っていた。自然の中で、のんびり暮らしたかった。自分一人では田舎暮らしはできなくても、‘’村‘’に入れば何とかなるという甘い考えもあった。
ともかくそれまでの都会生活に疲れていたし、たまに友達と会ったりして癒やされても、それだけでは満足できなくて、生活自体を変えたいと思っていたのだ。
‘’村‘’の生活を窮屈そうだとも思っていたが、‘’村‘’というのは、良くも悪くも、理論だけでなく、行動や生活が伴っていると感じた。
ただ、「今、‘’村‘’に入りたいと思うなら、それは、現世から逃れるためにそう思っているのだろう。何の疑問も持たないのなら、それは過ごしやすいだろうけれど、もし抜けるとなると、精神的にも実際的にも大変だろう」と思っていた。
‘’村‘’の参観もあった。‘’村‘’に入る前の職業や‘’村‘’に入ったきっかけなどを尋ねたが、いかにも模範解答、という感じの答えしか返って来なかった。肝心なところでは「どうでしょうねぇ」と、はぐらかされてしまった。ただ、部屋の中にTVや時計があるのは意外だった。もっと何もないと思っていた。
そして、‘’村‘’に行くときのバスからの景色が心に残った。特講会場から‘’村‘’まではバスで30分くらいだったと思うが、途中にはコンビニもパチンコ屋も時計もあった。「もうじき、ここに戻って行くのだ。いつまでも別天地にはいられないのだ」と感じた。つまり、もうその時には、‘’村‘’で生活したいと思っていたのだ。
‘’村‘’と「外」の世界を対照的に描いた、ふすまほどもある大きな絵も見せられた。その絵の半分には、醜い現実が描かれ、もう半分には楽園が描かれていた。その中に、女の人が空を飛んでいる場面があった。私も、その絵の中の女の人のように、現世の執着を振り切って、飛べたらいいだろうなあ、と思って涙が出た。
幼児のビデオも見せられた。小さい子の親たちは、「自分の子どもを幼年部に入れたい」と言っていたが、私は自分が入りたかった。自然の中で伸び伸びと生活している子どもの姿を見て、自分がそういう子ども時代を送れなかったことをうらみ、今からでも取り戻したいと思った。もっとも、感動する一方で、4、5歳のうちから男女を分けるのはおかしいとも感じていたけれど。
「特講は洗脳だ」という人もいる。でも、私にとっては、そうは思えなかった。もっとも、自覚がないからこそ、洗脳なのだろうけど。
でも、仮に洗脳だとしても、私は洗脳されたかったのだ。なんとかして、つらい現世から抜け出す手がかりを見つけたかった。需要があるから供給がある。