異次元世界への旅ー私の‘’村‘’体験7

7 スタッフ

 「特講」から帰って来たときには、「期待していたほども、心配していたほども、自分は変わらなかった」と思っていた。実際、日常に戻ると3日もすると元の黙阿弥で、やはり毎日イライラして、腹が立ちまくっていた。せっかく行ったのに、「使用前」と「使用後」の変化が感じられなかった。「腹の立たない人間になる」なんて誇大広告だ、と思っていた。
 それでも、その後、どんどん‘’村‘’にのめりこんでいった。

 「スタッフ」として「特講」に参加したこともあった。もちろん、一応任意参加が建前ではあるが、「真剣に本音で話せる仲間ができた」という気持ちで熱心に参加していた。今度は自分が「特講」に参加する人の食事の世話などをするのだ。
 スタッフは‘’村‘’の人と一緒に行動する。‘’村‘’がいかにいいものか、生活の中から染み込んでいく。自然の中での生活。のどかな農村風景。牛舎や豚舎、鶏舎もほとんど臭わないし、うるさくもない。
 牛舎では、乳搾りの様子を見せてもらった。牛は、触ろうとして手を伸ばすと逃げるが、そのままじっと待っていると寄って来て、牛タンで手をなめる。ネコの舌よりも、もっとざらざらしていた。
 子豚は犬小屋を大きくしたような小屋で寝ていた。1頭が出てくると、「何だ何だ」という感じで次々に出てくる。野次馬ならぬ野次豚である。
 「特講」会場のすぐ近くにフキが生えていて、サンダルばきで包丁を持って出てフキを取り、それを調理して食事に出したこともあった。産地直送の極みである。

 休日にスタッフに参加するのと並行して、平日の夜などには地域の集まりにも出ていた。参加者は主婦が多く、話題は子どものことが中心で、いまいち入りきれない気もしていたが、単なる友達とはまた違った話ができるのは魅力だった。
 ただ、たまたまそこの地域がそうだったのか、割と金持ちの人が多く、生活実感が合わない感じもしていた。子どもを‘’村‘’の学園に入れるのにも、1人につき1カ月に7万円もかかるのに、兄弟で2、3人も入れている人もいた。

 スタッフに何度か行くうちに、それを日常にしたい、という思いが強まってくる。休日にスタッフに行き、心が洗われても、日常に戻れば元の黙阿弥である。
 「生活そのものを変えたい」、「中途半端なことをしていても仕方がない」と考え始めた。
 プールの壁をトンッと蹴って「けのび」をするように、自然に引き寄せられていった。無重力状態のように、抵抗がなかった。
 その時は確かに、快感を感じていた。「どうせもうじき、こんな汚れた世の中ともおさらばさ」という無責任な感覚もあった。「あと少しの辛抱で、理想の社会に行けるのだ」と思えば、何もかも許せる。

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