異次元世界への旅ー私の‘’村‘’体験15

15 試練

 こんなやりとりがあり、もう1度、やる気を取り戻していった。とたんに、‘’村‘’のいい面ばかりが見えてくる。思考が極端から極端に揺れ動く。
 ゆったりした時間に身を任せながら、畑を耕していると、「何の心配もない」ということが実感としてとらえられてくる。お金の心配もない。畑を耕して帰れば食事も風呂も用意されている。「普通の農家ならば、お金のことはもちろん、それ以外の雑用も多いだろう。ここでは、本当にそのことに専念できる。何にもわずらわされることなく、気がかりなこともない。」と感じていた。
 そのときには、ゆったりとやっていて、他の人よりペースが遅くても、ほとんど気にならなかった。そうして、「今まで、ここに来てからも、あくせく追い立てられていたなあ」と思った。それは結局、「役に立つ人と見られたい、よくできると思われたい、少なくともノロマで役立たずでどうしようもない使い物にならない奴とは思われたくない」と思っていたからである。基準が、自分の内にではなく外にあるから振り回される。

 ‘’村‘’を開放し、宣伝する「顕示博」という行事もあった。そこには、地域の人や、「特講」や「研鑽学校」で出会った人も来ていた。なつかしい顔ぶれに出会うと、とたんに元気になる。「やらせ」や「弱みをみせたくない」、「心配させたくない」という気持ちも多少はあるが、本当に「楽しく生活しているんだよ」と言ってしまう。

 だがしかし、試練は再びやってきた。入村前からひっかかっていた、男女差別がきっかけだった。「ふさわしさ」という美しい言葉によって、「男はこう、女はこう」と決められることに耐えられなかった。
 共同でやる洗濯や炊事も、子どもを「太陽の家」と呼ばれる保育施設まで送り迎えするのも、寝かしつけるのも、女性の役割とされていた。それに対して疑問を口にしても「子どもがいないくせに」と言われた。独身者は少なく、孤立している気がした。
 男でも、女でも、人によって得意なことは違うし、それどころか、一人の人にだって、いろんな面があるのに、「男女」という枠にはめられて、あらかじめ「こうすべき」と決められてしまう。

 その具体的な事柄がいやなだけでなく、それは象徴的な出来事にすぎず、一事が万事だと思った。‘’村‘’生活全体が、そうなのだと気がついたのだ。何もかも「研鑽」で決められ、自分の感覚や気持ちで判断することはできない。
 もちろん、入村に当たっては「自分の判断を‘’村‘’に預ける」ことを承認していた。「今さら不満を言うなんて。入るときにわかっていたはずだ」と言われれば弁解の余地はない。でも、自分の判断を預けることがどんなことか、そのときにははっきりとわかっていなかったのだ。わからないで入るほうも確かにうかつだが、「すべてわかって入るものでもない」とも言われていた。それに、「‘’村‘’は理想の場所だ」という判断にだって誤りはある。

 具体的には、食事のとき、女性が鍋の世話をする、ということだった。なぜ女性だから、そうするのか。しかし、‘’村‘’には「なぜ」は禁物なのだ。「世話係」ばかりか一般の人達もみな、疑問を持つほうがおかしいという雰囲気の中で孤立していった。
 強制されていると思うとよけい反発する。ともかくこのとき、私はどうしても「ハイ」と言えなかった。たとえ「世話係」の前でそう言っても、それがウソだと知っていたし、ウソをついてその場は過ごすことができたとしても、後でもっとつらくなることは目に見えていた。

 確かに、元の生活に戻るのも耐えられなかった。「さみしい」という仲間を振り切り、私はここに来てしまった。それなのに、一体何をしているのだろう。今さら戻れない。「みっともないから」とか「生計を立てるのが大変」とかもあるが、それ以上に気力が出ない。
 「予備寮」にいるうちに出れば、物、金、すべて戻ってくるという。しかしたとえお金が戻ってきても、それで地元に戻るなり、どこか他に行くなりしてやっていくだけの気力は、とても出ない。
 実際的なことを考えただけでとても大変そうで、とても力が湧いてこない。「予備寮」を出るまでのやりとりも、考えただけでうんざりするが、それはその気になればクリアできるだろう。問題は、その後である。お金があっても行くあてもないし、もう前の生活には戻りたくない。それだけで、ここまでやってきた。それでも、「いくら他に道はなくても、でもどうしてもここにいたくない、従いたくない」と思った。

 事柄的にはこなしている。養豚の初日は通路掃除をした。そのとき、動いているうちにだんだん体が軽くなっていく、という不思議な体験をした。
 「職場」へ行っても、そう疲れなくなった。オドオドビクビクしたり、あせったりしなくなったからだと思う。「落ち着け落ち着け」と自分に言いきかせても、なかなかできないのに、いつのまにかそんなに意識しなくても、ゆったりとできるようになった。そうしたら、楽になってきた。

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