異次元世界への旅ー私の‘’村‘’体験8
8 ‘’村‘’の魅力
そして、いつの間にか、‘’村‘’の生活こそが、自分の求めていたものだ、と思うようになっていった。
それまでの生活に疲れていたこともあったが、‘’村‘’自体の魅力も大きかった。
その一つは、「自然の中で生活する」ということである。自分たちで作ったものを食べる。自給自足である。都会の生活に疲れていると、そのことがとても魅力的だった。消費生活をするよりは農に携わるほうが、その人にとっても、地球環境に対しても、どんなにいいことか。まだ使える物をどんどん捨てさせないと不景気で失業者があふれるような世の中は、どこかおかしい。
私は「特講」に行き、「こんなに自然が豊かな中で、自分に合った仕事をして、のんびりと仲良く暮らせたらいいなぁ」と思っていた。それなら自分で田舎暮らしを始めればいいのだろうが、そこまでの度胸も体力も、運転免許もない。
子どもの頃は都会で育ったが、それでも、空き地はあり、土をほじくったり、虫を捕ったりして遊んだ。でも、泥で洋服を汚すと、怒られた。
秋に、ススキの葉についていたカマキリの卵を取り、お菓子の空箱に入れてしまっておいたら、春になってカマキリの子が孵り、また怒られた。
シロツメクサで花輪を作り、机の引き出しの中にしまっておいたら、腐ってしまい、怒られた。
学校の鳥小屋で、きれいな鳥の羽を拾って来たら、虫がわいて、捨てられてしまった。
そして、空き地にはどんどん住宅が建っていく。もっともっと自然の中で遊びたかったのに。
それを、大人になってからでも、取り戻したかった。
また、もちろん、お金の心配がないことは最大の魅力だ。
ある程度以上の年齢の人にとっては、老後の不安がないことも大きい。
女性にとっては家事の心配がないことも魅力の一つである。子どものいる人にとってはなおさらだろう。炊事も洗濯も掃除も、子どもの世話もすべて分担して行われる。献立を考える苦労も、赤字の家計簿とにらめっこすることもない。
なにしろ生活の細々したことまですべて研鑽で決められるので、自分で考えたり悩んだりすることはないのだ。今から考えれば恐ろしいことだが、「自分で考えなくてもいい」というのはとても魅力だった。きょう、何をするかは、決められていて、何も心配は要らない。きょう、何を作って食べようか、と考える必要もない。