1999年10月 チーム解散
映像の部署は解散となった。
Ome 部署消滅
Dinks 会社倒産
Oce チーム解散
そう考えると、関わってきた部署並び会社が軒並み無くなっている。
自分は不幸を招き入れる体質かとも疑いたくなる現状だが、当時のCG業界はまだ成熟しておらず、ベンチャー的な会社や部署が多かった。そのため経営者も試行錯誤の繰り返しだったろうと思う。
それに年間1万件前後の会社が倒産していることも考えれば普通と言わざるをえない。
消滅しない部署並び会社にいる方はよほど強運なのだろう。
チームは解散なったがクビにはならなかった、
残留する人材はゲーム部署へと再振り分けになった。
飲み会や喫煙所に入り浸る人が増えた。
世のリストラもこのような感じになるのだろうか。
私はと言えば、新しいゲームチームに配属が決まった。たまたま仲の良かった数人が一緒に移動になったため、気は少し楽だったが、業務内容を大きく変えることになった。
ハイクォリティレンダリングからロークォリティリアルタイムへ
ただ当時の私は比較的前向きでその場に慣れようと頑張って勉強しようと試みた。
詳細なゲームの設定や作り方など、
しかし残念なことに余りにスタッフが不親切で
何をやってるんだかちんぷんかんぷん。
皆個人的な技術に自己満足で他人に興味がない。
それでもやってみたものの成果は最低。
ここで知ったのは
映像制作はクリエイティブだがゲーム制作はただの作業だとゆうこと。
究極の表現やまだ見ぬ領域に挑戦するムービー制作と違ってゲーム制作は既存スペックの中でどう足掻くかが仕事。
フラストレーションが溜まる毎日、だがブースは広かった。
他の会社に転職が決まった人も沢山いて、私にも様々な誘いがあった。
しかし私の心はこの時、一つの考えに取り憑かれていた。
それは
フリーランス。