二人の賢者と熊本遠征 Prologue2
■前回のエピソード》
当時僕は22歳。チームの平均年齢は33~5歳だっただろうか。ゲーム業界としては平均年齢がやや高めだった。
僕はそこで面食らった。
まず、みんなゲームが大好きだった。配属先の開発チーム全員が携帯ゲーム機を持っていた。持ってないのは僕くらいで、当時ゲームキューブ・PS2全盛期か、PS2がやや衰退を始めたころだったか。しかしながら、PSPが発売されるとみんな飛びつくように出社前に購入し、会社のデスクで開封するという暴挙に出る人達だった。PS2でメタルギアソリッド3が発売されると、それをプレイするために有休をとる者もいた。
『こうでなければならない』という凝り固まった精神でいた当時の僕は、その人たちの行動が理解できなかった。
当時職務上、徹夜の勤務が時々あった。もしくは自主的に徹夜しても構わなかった。今とは色々と違っていたのだ。徹夜すると人は気持ちが『High』(ハイ)になる。ある意味『灰』になる。
深夜も深まりを見せるころ、職場でビールを飲む者もいたし、ラジコンで遊ぶ者もいた。エアガンでデスクや廊下、階段で撃ち合う者もいて伝説と化した話もある。職場のデバステで休憩に他社のゲームをもくもくとやり進める者もいた。
デバステとは、開発用のPSのことだ。まるっきり中身がパソコンのようなタイプのものもあったし、外観が製品のPS2と変わらないけど、本体側面に『PS2』ではなく『TEST』とあの独特なフォントで印刷されているモノなどがあった。
当時僕が配属されたチームではゲームキューブソフトを開発していた。したがってデバステじゃなく『DEVキット』(デブ)とかって確か呼んでたような気がする。DEVとはdevelopmentのことで開発の意味。開発用のゲームキューブが、各デスクに最低一台ずつ配備されていた。形も色も製品版ゲームキューブとは随分違う。似てるけど違う。
ちゃんとキューブ用コントローラを接続できるコネクタを備えていた。
そんな中にこの私、『白へび』に変幻する前兆も一切見せないころの『ふわふわした普通のへび』の僕がいた。
それでも、普通のへびだった僕をさして、最も濃いキャラの大先輩から次のような褒め言葉を頂戴したことがある
「このメンツの中にいて、お前最初っから
キャラ立ちしてんだぞ!すげぇよお前!」と。
実感が無かったけど、元R-TYPE3のグラフィックに携(たずさ)わった人の発言だっただけに、何だか嬉しく感じた。
本人曰く、実際には開発メンバーというよりは元々関わっていたプロジェクトが終わって休暇を取ろうと思っていた矢先、R-TYPE3開発チームの人に「間に合わないんスよ~」と普通の顔をして言われ、嫌だったけど仕方なく一部手伝った、とのこと。
『メモリー足んないんで、4色で表現してください』と言われ「はぁーーーぁぁああああ?!」な、開いた口がふさがらない作業だったらしい。
熊本遠征の話から随分それているのでこのくらいにしておく。
要するに、マインドクリエイトには摩訶不思議な人達が大勢集まってくる。それを20年ぶりにあらためて感じ取ったというのだ。むしろ、今の環境の方がもっと濃い種族が集結しているような・・。
つづく
■次のエピソード》